2015/07/28
中国の教養教育の現状と課題—大学における教養教育のカリキュラム構成を概観して—(前編)
特任研究員 満都拉(マンドラ)
本稿の目的は、中国の大学における教養教育の意味変容と、現在実施されているカリキュラム構成を概観した上で、そこから見えてくる中国の教養教育の問題点と評価ポイントを示し、それが日本の教養教育にいかなる示唆を与えるかを検討することである。
中国では、教養教育は「通識教育」や「文化素質教育」、「一般教育」、「普通教育」、「通才教育」、さらには「自由教育」、「博雅教育」といった用語で表現される場合が多い。中でも「通識教育」と「文化素質教育」という2つの用語がより広く使われており、意味も日本の教養教育にもっとも近いと考えられる。隋晓荻(2014)によれば、通識教育の「通識」は「博学多識 融会貫通(原文:博学多识 融会贯通)」や「知類通達(原文:知类通达)」など中国の儒教文化である『中庸』、『学記』などから由来し、幅広い知識を習得した上でそれらを融合し、活用する、という意味である。李曼麗(2006)によれば、中国において通識教育という用語が最初に使われたのは銭偉長氏が1987年に行った「小中学校における義務教育の目標は知識と修養のある公民を育成すること、つまり通識教育だ」という講演である。
本稿では文章の伝わりやすさを考え、日本の「教養教育」という用語を中国の「通識教育」の代わりに用いることとする。
中国における教養教育の意味変容
新中国が成立したあと、大学教育は中華民国のときに導入された博雅教育(リベラルアーツに近い)が消失し、専門教育を重点とする旧ソ連の高等教育をモデルとした。その狙いは国の建設や発展のための人材育成であった。しかし当時の中国は政治的変動が激しく、社会も教育も不安定な環境におかれていた。1977年9月に、文化大革命のため10年間にわたって中止されていた大学受験が再開され、大学教育も通常通りに行われるようになった。当時の大学教育は専門教育偏重の教育への反省に立ちつつ、様々な教育改革とカリキュラム改革を試みていた。その一つが教養教育の実施であり、専攻・専門を越え幅広い知識を習得することと、個人の興味関心によって履修できる選択科目を開設するという2つの理念のもとで展開された。
1987年に中山大学の陳衛平氏と劉梅齢氏が香港中文大学における教養教育のカリキュラム構成を中国大陸に紹介し、「教養教育とは専門教育に対する概念であり、専門教育の補助的な役割を果たすことで学生の応用的スキル・能力を育成することである」とした。教養教育に関するこうした考え方は、1990年以降の高度経済成長と工業化・現代化の進展と相まって、教養教育もしばしば専門教育との関係性の中で論じられるようになった(李曼麗,2006)。
1995年9月に元国家教育委員会(1998年以降『教育部』に変更)高等教育司が「高等教育機関における文化素質教育の試行校に関する検討会」を開き、文化素質教育は中国の高等教育機関の人材育成の重要な一環であるとした。1998年教育部高等教育司により「大学生の文化素質教育に関する意見」が発表され、大学教育の全過程において文化素質教育を実施するべきだと明示した。そして文化素質教育には「大学生の文化素質の向上」「大学教員の文化素養の向上」「大学の文化品質の向上」の3つの内容が含まれることと、大学生の全面的な成長(中国語では「全面発展」と言う)を目指すことを目的とした。文化素質教育という概念が提唱されたあと、大学における教養教育は「文化素質教育」という概念のもとで展開されるようになった。一方、「通識教育」という用語は廃止されず、文化素質教育と並存して用いられた。
このように、中国の大学における教養教育は、はじめの頃は幅広い知識の習得を狙い選択科目の開設によって展開されたが、その後専門教育の補助的教育というイメージを持ち、専門教育との関係性の中で論じられるようになった。そして最終的には大学生の文化素質を高めるという要素も加わった。実に様々な意味の変容過程を辿ってきたと言えよう。
中国の大学における教養教育のカリキュラム構成
教養教育は通識教育と文化素質教育という2つの概念で展開され、その重要性が大きく提唱される中、各大学における教養教育をめぐる取り組みも盛んに行われるようになった。以下、教養教育の実施や展開の面において中国の大学の先駆者として広く知られている北京大学の「元培学院」と復旦大学の「復旦学院」を中心に紹介し、その上で、いくつかの大学の教養教育のカリキュラム構成の特徴的な側面を取り上げ、中国の教養教育の大よその現状を示したい。
北京大学の元培学院
北京大学では、1980年代末から専門教育のみならず教育の基礎・基盤となる幅広い知識の習得が提唱されてきた。2000年6月、北京大学の教養教育に関する課題研究グループが本大学の教員404名と学部4年生659名を対象に、学士課程のカリキュラム構成に関するアンケート調査を行った。調査の結果、ほとんどの教員と学生は専門や専攻分野を決める時期が早すぎて学生が自分の興味関心に基づいて科目履修をすることができないことと、専門が細分化し、知識が狭すぎて学生の総合的な能力を育成できていないことが明らかになった。こうした調査結果を踏まえ、北京大学では2001年から「元培計画」が実施されるようになり、元培実験班が設置された。「元培計画」は北京大学の4代目の学長の蔡元培氏の名前に由来した教養教育の実施プログラムである。
元培計画の趣旨は「全学において教養教育の選択履修科目を開設すること」と「主に元培実験班によって教養教育を展開すること」である。全学における教養教育の選択履修科目には図1に示した「数学と自然科学」「社会学」「哲学と心理学」「歴史学」「言語文学と芸術」の5つの領域が含まれており、学生はこの5つの領域から一定の科目を履修し16単位を取得することが規定されている。元培実験班は文系理系の2つの分野で学生募集を行い、それぞれの学生が入学後の1年半の期間に専門分野を決めずに幅広い領域において各自の興味関心に基づいて科目履修をすることが規定されている(図1参照)。
図1 11月北京大学の「元培計画」の内容の枠組み
注:陳向明(2006)「元培計画から教養教育と専門教育の関係性を考える」を元に筆者作成
2005年に教養教育に関する課題研究グループが再度本大学の教員と学生を対象にカリキュラム構成に関する調査を行った。そこで、元培実験班の72.8%の学生が自主的に科目を履修することで良い勉強ができたと答えていることが分かった。また元培実験班の学生の自主選択能力がそうではない学生より高いことも明らかとなった。
2007年に元培実験班は「元培学院」に変更され、元培計画は一層新しい展開を見せはじめた。例えば元培学院の学生は各自の興味関心のもとで全学の全ての専門コースの授業を履修することが認められ、その中で自らの専門領域を決めることができる点。また学生が各自の状況に基づき修学年限を早めたり延長したりすることができる点。さらに、元培学院において新領域の設置や国際交流も積極的に進められている点などが挙げられる。
復旦大学の復旦学院
復旦大学における教養教育は1980年代初頭であり、主に元学長の謝希徳氏のもとで展開された。当時、謝希徳氏は外国の学士課程の先進的な教育理念を導入し「通才教育」を提唱したのである。しかしその後の長い時期、教養教育の定着が難航し続けていた。2005年9月に教養教育の実施を担当する復旦学院が設置され、教養教育が確実に行われるようになった。復旦学院における教養教育の実施とは、具体的に、復旦大学に入学した学生全員が入学後まず復旦学院に所属し教養教育の授業を受けることが規定され、2年目になってから専門や専攻分野を選択し、専門教育を受けることとなっている。このような体制は中国の高等教育機関においても斬新かつ大胆な試みだと見られている(陳向明,2006)。
具体的に、復旦学院における教養教育は表1に示したようなプログラムを中心とし、「書院宿泊制」と「指導教員制」を補助とする体制のもとで実施されている(表1参照)。
表1 復旦学院における教養教育の実施プログラムの概要
注:隋晓荻著2014『中西通识教育的思想与实践』のP179-181を参照し、筆者作成
表1に示すように復旦学院では「文化・歴史の古典と文化継承」「哲学の智恵・知識と批判的思考・思維」「文明的対話と世界視野」「科学精神と科学探究」「生態・環境と生命」「芸術創作と美学体験」の6つのプログラムが設置されており、全プログラムには180の選択科目が組み込まれている。学生はこの6プログラム180科目の中から6科目を履修し12単位を取得することが規定されている。
以上、中国の教養教育についてまずその意味の変容過程を概観し、その上で北京大学の元培学院と復旦大学の復旦学院の事例を取り上げ、大学における教養教育のカリキュラム構成の現状を紹介した。後編では、他の大学の事例も取り上げ、中国の教養教育の問題点と評価ポイントを示し、それが日本の教養教育にいかなる示唆を与えるかを検討する。
参考・引用文献
- 陳向明2006「元培計画から教養教育と専門教育の関係性を考える」北京大学教育評論第4巻第3期p71-85
- 隋晓荻2014『中西通识教育的思想与实践』(Thoughts and Practices General Education in China and the West)中国出版集团世界图书出版有限公司
- 李曼麗2006「中国大学通识教育理念及制度的构建反思:1995~2005」北京大学教育評論 第4巻第3期 p86-99
- 楊春梅2002「通識教育三論」江蘇高教 教学研究第3期p85-88