2015/11/27
Shift│第10回 子どもが憧れる工場になることは、地域の未来を拓く近道だ -燕三条のキャリア教育を伝統継承に昇華させる- [1/4]
今回のシフトは、日本の「ものづくり」を代表する地域、新潟県の「燕三条」(燕市と三条市の地域総称)を取材した模様をお届けする。 「ものづくりニッポン」という言葉をよく耳にする。しかし、私たちは「ものづくり」の楽しさや大変さを、次の世代にどれだけ伝えられているのだろう。そもそも、私たち自身は「ものづくり」をどれくらい知っているのだろうか。
例えば、毎日の食事で使われている包丁。この包丁ひとつとっても、切れ味を出すためにどのような工程を経ているのかは、製造現場を見ないとわからない。高度成長期以降、「燕三条」の大人ですらそうだった。しかし、この地域では、約十年前から伝統継承の教育が始まった。今、三条市内のすべての小中学校では、授業の中で和釘づくりや包丁研ぎなどを体験するまでになっている。
燕三条では、「ものづくり」を地域の文化と誇りとして子どもたちに伝承しようと、産業界とともに教育の仕組みづくりの努力を続けてきた。燕三条が面白いのは、伝統継承についての問題意識をもつ大人たちが、「子どもが憧れる、ものづくりの現場」を目指して改革に取り組んでいることだ。生きたキャリア教育を実現するためでもあり、職場そのものに魅力や将来性を感じてもらうためでもある。
燕三条の産業とキャリア教育が一体になって起きたシフトには、日本の他地域がいかにして伝統文化を継承していけばよいのか、そのヒントが隠されている。
【取材・執筆】 ジャーナリスト・林 信行
【企画・編集協力】 青笹剛士(百人組)
【企画・編集協力】 青笹剛士(百人組)
米アップル社が探し求めた技術をもつ街
米アップル社が2001年に発表した初代iPodの鏡のような美しい背面は、同社が世界でもっとも高い磨きの技術を探してたどり着いた燕市の名職人たちによって一つ一つ磨かれたものだ。燕三条には、このような職人たちの存在によって、世界屈指の技術力をもつ工場が点在する。
燕市の工場で、いくつもの段階の工程を経て研磨されたタンブラー
高度成長期以前の燕三条では、工場(こうば)が、自宅だったり、友だちの家だったり、今よりも生活の近くに感じられたという。この時代の子どもたちは、工場の前を通るとそこに忍び込んで、職人たちが働く姿をそっと見ることができた。
燕研磨振興協同組合の研修施設「燕市磨き屋一番館」で磨きの技術を教えている「磨き屋マイスター」の高橋千春さん(以下、高橋さん)は言う。
「工場での仕事は今でこそ見直されてきていますが、つい最近までは3K(きつい、汚い、危険)の代名詞でした」
燕市でも高度成長期以降は職人を目指す人が減り、後継者不足で廃業する工場も増えていった。同時に宅地化が進み、工場は人々の視界に入らない工業団地などにどんどん移転していく。
燕市磨き屋一番館、マイスターの高橋さん
そんな中、ものづくりのDNAを絶やさぬように、十年ほど前から小さな変化が始まった。燕三条の学校教育に、地元の特色である「ものづくり」の現場を知ってもらう体験授業が組み込まれたのだ。
実際、「燕市磨き屋一番館」でも、これから磨き職人になろうという社会人向けの研修だけでなく、子どもたちの見学も受け入れており、燕市の小学生が学校の授業の一環としてスプーン磨きの体験にやってくるという。
磨き体験では、新潟県から「にいがた県央マイスター」の認定を受けた高橋さん自身が指導にあたる。研磨の時間は一人当たり1分程度だそうだが、目の前でくすんだ色のスプーンが輝き始めると子どもたちの表情も輝き始めるそうだ。