2014/12/15
シリーズ 未来の学校 第5回 | 秋田県発、リベラルアーツ教育がグローバル人材を輩出する【前編】[2/6]
【前編】 国際教養大学が実践する、英語で学ぶリベラルアーツ [2/6]
教員の役割は"学びの気付き"を促進すること
3つ目の議論の最後に、ブラウン先生が今日のプレゼンテーション・議論に対する評価と、それが向上するためには何が必要かという話し合いをするように促した。その後、プレゼンテーション・グループのひとりが発言する。
「設問自体は悪くないと思うが、時間配分をもっとうまくやるべきだった」
同じくプレゼンテーション・グループの別の学生が続く。
「設問の数を減らして、ポイントを絞って深く討議した方がよかったかもしれない」
「活発な議論に時間をとり、議論が進まないトピックは手短に切り上げるということですね。それはいいアイデアですね」とブラウン先生。
先生は何かを教えるというよりは、その場の議論が円滑になるように促す、ファシリテーターに徹している。答えはあくまでも学生自身に考えさせる意図がある。また、学生たちの発表や議論の進め方についての振り返りもあくまで学生中心。
もちろん、授業の振り返りについても、学生たちは全て英語で議論していた。入学して4カ月目の現時点ではそれほど英語を話す能力が高くない学生も、議論に積極的な姿勢を見せており、授業の雰囲気はとてもよい。そんな雰囲気ができるように、円形の座席をつくって学生同士の和を生み出す工夫や、議論の中で適度なあいの手を入れる先生の技術も光る。
本日の「奴隷」に関するテーマ自体は先生が選んでいるようだが、問題提起を学生に課していることは特筆すべきことだ。「問題そのものは何か」という本質を発見する力を養成する狙いがあるのと同時に、授業そのもののクオリティを学生に委ねているからだ。EAPが「英語」という語学を学ぶためではなく、手段として学ぶための授業だったことは明らかだった。