2014/02/27
シリーズ 未来の学校 第3回 | 過疎からの脱却、地域を復興に導いた教育改革【前編】[1/4]
未来を生きる子どもたちは何をどう学ぶべきなのか
そこで大きな役割を果たす学校はどうあるべきなのか
「未来」といっても決して空想や夢物語ではない、実は
もう始まっている先端的な意味での未来の学校を探訪します。
そこで大きな役割を果たす学校はどうあるべきなのか
「未来」といっても決して空想や夢物語ではない、実は
もう始まっている先端的な意味での未来の学校を探訪します。
【前編】 生徒の夢と地域の将来を見つめた、隠岐島前高校の人間育成 [1/4]
島根県沿岸から北へ約60km。日本海に浮かぶ小さな島の、小さな高校が注目されている。過疎で統廃合の危機にあった学校が地域と共にとても元気に復活しようとしている。その鍵は、島内出身者と島外出身者が協力して町を復興しつつある教育改革だった。
制作協力:株式会社百人組
進学や就職のために島を離れた若者たち
10:05
島根県松江市七類港からフェリーに乗って波に揺られること3時間半。日本海に浮かぶ隠岐諸島の1つ、中ノ島に到着した。
中ノ島の目と鼻の先には、西ノ島と知夫里島があり、3島合わせて「隠岐島前」と呼ばれている。中ノ島は海士町(あまちょう)、西ノ島は西ノ島町、知夫里島は知夫(ちぶ)村がそれぞれの行政を担っている。そして、海士町に立地する隠岐島前地域で唯一の高校が今回、われわれ取材班が訪ねた隠岐島前高校だ。
「日本の多くの地方が抱えている問題として、少子高齢化と人口減が挙げられる。隠岐島前地域もその例外ではない。高度成長期以来、海士町の若者の多くは進学や就職のために島を離れて都市部へと流れて行った。島の経済を支えてきた漁業と農業が“稼げる”仕事ではなくなってきたからだ」と、海士町長の山内道雄氏は話す。
先の見えない家業を継ぐよりも、都会に出てサラリーマンになった方が将来は明るいと思うのは、子を持つ親として考えるのは当然のことだろう。若者たちは親の後押しを受けながら島を離れていったのだ。
気が付けば“超少子高齢地域”になっていた
海士町の人口が最も多かったのは1950年で、約7000人に達していた。だが、その年をピークに人口は減り続け、2010年には2400人を切るまでになった。
高齢化率は約40%。若者が少ないために生まれてくる子どもも減り、気が付けば全国でも有数の“超少子高齢地域”になっていた。
こうした現状に危機感を抱いた海士町では、山内町長のリーダーシップのもと大胆な行政改革に着手した。特産品加工を中心とした産業創出や教育改革、子育て支援、UIターンの活性化などを推進することで地域の復興を狙った。なかでも目玉の政策が教育改革であり、その中心となったのが「隠岐島前高校魅力化プロジェクト」だ。このプロジェクトは隠岐島前高校の教育目標として、「生徒一人ひとりの夢の実現」「地域の未来をつくる人財の育成」「持続可能な魅力ある学校づくりの推進」の3つを掲げている。