「AI時代」における教育研究の方向性
いま日本が目指す教育とは何か
これからの教育を各界の第一人者に聞く「教育フォーサイト」。
今回は、すでに到来しつつある「AI時代」の教育と、そこで求められる教育研究について、ベネッセ教育総合研究所の野澤雄樹所長に話を聞いた。
— 「AI時代」の教育および教育研究をどのように捉えていますか?
野澤 これまで人間にしかできないと考えられてきた知的な作業が、コンピュータによって人間をはるかに超えるパフォーマンスで実現できるというニュースを、ここ10年ほどの間で何度も耳にしました。最近では、OpenAI社が開発したChatGPTに自然言語で書かれたテキストを打ち込むと、正確かつ柔軟に書き手の意図を汲み取り、その分野の専門家でも容易には作れない高度な回答を、ごく短時間で生成できることに衝撃を受けた方も多いと思います。生成された回答をよく見ると、事実ではない内容が含まれていることも多く、技術的にはまだ課題があることがわかりますが、世界中の研究者が先を争って研究を続けていることを考えると、これらの課題のかなりの部分は遠からず解決されると思います。
では、AIの急速な進歩は教育にどのような影響を与えるでしょうか。私は少なくとも2つの方向性があると考えています。1つ目は、最先端のAIを学習に組み入れることで、「教え方」「学び方」が飛躍的に進化するという方向性です。AIの具体的な活用に関する話なので、ミクロな視点と言えます。2つ目は、AIが社会そのもののあり方を変えてしまうことで、教育の目標である「何を身につけるべきか」が変化するという方向性です。こちらはマクロな視点と言えます。AIが教育に与える影響にはさまざまなものが考えられますが、この2つの方向性に焦点を当てることで、教育がどう変わっていくのか、必要とされる教育研究はどのようなものかについて展望を描きやすくなると考えています。
— 1つ目の方向性に関連した質問です。AIによって「教え方」「学び方」はどのように進化すると考えられますか?
野澤 学習時における他者の存在に注目し、(1) 個人で学ぶ場合、(2) 教師から学ぶ場合、(3)
仲間と学ぶ場合、という3つのカテゴリに分けることにします。この中で特にAIの活用が重要になるのは、(1)の個人で学ぶ場合だと考えています。個人で学ぶ場合、学習のクオリティは学習者の主体性に強く依存します。もちろん1人でも効果的・効率的に学べる学習者はいますが、全体として見れば1人ではうまく学べない学習者のほうが遥かに多いでしょう。特に初めて学ぶ分野の場合、最初にその分野特有の考え方や用語の意味を理解しないと、教科書を何回読んでも学習が進まないことがあります。適切なアドバイスがあれば避けられた障害に躓いて、モチベーションをなくしてしまった経験は誰にでもあると思います。このような学習者をAIによってサポートし、学びを継続できるようにすることは、常に新しいことを学び続けなくてはならないこれからの社会において重要になるでしょう。一方、「学び方」「教え方」の飛躍的な進化と言いましたが、学ぶのはあくまでも人間なので、AIが進歩しても、いきなり学習効果が何倍にも向上することはないと考えています。
— AIを活用した学習教材としてどのようなものをイメージしていますか?
野澤 学習者を適切に支援するためには、学習者の状態を正確に把握し、最適な反応を返す機能が求められます。これまでセンサリング・デバイスを活用し、表情や目の動き、脈拍などを測定することで、学習者の状態を推測する試みが行われてきました。学習者とAIが言葉を使ってスムーズにやりとりできるようになれば、より直接的に学習者の状態を把握できる可能性があります。生成AIの技術がさらに向上すれば、学習者の理解に合わせて解説文や図表、難易度を調整した課題などをその場で作成することもできるでしょうし、音声を合成するアプリケーションにAIが生成した解説文を連携すれば、学習者が聞き取りやすい音声でAIに解説してもらうこともできるでしょう。そのようなAIが学習者の学習履歴データを記録・管理し、学びをサポートする伴走者の役割を担うようになれば、学習のためのツールというレベルを超えて、学習者のパートナーに近い存在になることも考えられます。
— AIの教育利用が進むと、AIの言うとおりにしか学習できない受動的な学習者が増えることにならないでしょうか?
野澤 AIを活用して学習者を支援することが、主体的に学ぶ学習者を育てるという教育の目標に逆行するように見える部分は確かにありますし、その危険性は常に考慮する必要があります。しかし逆に、学習者の主体性に任せて支援を極力減らすことが、主体的に学ぶ学習者を育てるための最良の方法かと言われると、当然そんなことはありません。経験的には、学習者の知識やスキルの習得状況、個人特性(性格や認知特性など)、その日のコンディション(モチベーションや気分、体調など)といった要因を考慮し、無理なく学べるコンテンツを提供しながら徐々に学習習慣を作っていくほうが、主体的に学ぶことのできる学習者を育てる上で有効であるように思います。
いずれにしても、今はまだAIを活用した学習に関するエビデンスが不足している状態です。AIの活用が学習者の主体性にどのような影響を与えるかも重要ですが、やはり認知的な側面(知識・技能や思考力・判断力・表現力)にどのような効果があるのかは重要ですし、その効果は教科・科目によって異なるのか、学習者のどのような要因によって効果の大きさが変動するのか、など多くの問いがあります。それらの問いに答えるための教育研究が求められます。
— 2つ目の方向性に関連した質問です。AIによって社会はどのように変化し、そのことは教育にどのような影響を与えると考えられますか?
野澤 AIはさまざまな形で社会に影響を与えるので、それらをすべて考慮して社会の変化を予想することは不可能です。ただ、社会の構造的な課題の解決を通じてAIが社会に対する影響力を拡大していくことは、比較的確度の高いシナリオだと思います。現在の日本が抱える深刻な社会課題の1つは、少子高齢化に伴う急激な人口の減少であり、社会を支えるインフラが維持できなくなることです。AIで代替できる仕事は急速に代替が進むと予想されますが、鍵になるのは、AIでは容易に代替できない仕事を、必ずしもその領域の専門家ではない人たちが、AIのアシストを受けながらどの程度まで担えるかだと思います。例えばエアコンの修理をしたいときに、専門的なトレーニングを受けたプロの技術者だけに頼っていたのでは、どうしても人手が足りなくなります。AIの指示を受けながら安全・確実に修理できるセミプロの技術者が増えれば、人手不足の解消に大きく貢献するでしょう。このような代替が多くの業種で進む中で、教育を通じて身につけるべき資質・能力の内容が変化すると考えられます。
— 今後はどのような資質・能力が求められるようになると思いますか?また、関連してどのような教育研究が必要になるでしょうか?
野澤 AIを活用して労働力の不足を補うことが一般的になると、AIを使用したときにどのようなパフォーマンスを出せるかが重要になります。パフォーマンスの内容も、特定の領域における深い課題解決力の重要性は下がらない一方で、複数領域における汎用的な課題解決力の価値が高まると予想されます。そのような社会の変化が進んだ場合、AIから提供される情報を活用して目の前の課題を着実に解決する能力や、それぞれの業種において定められたルールを順守する倫理観、社会や他者に対して貢献したいという意欲や、他者と正確に意思疎通し、必要に応じて仲間と協力し合えるコミュニケーション力などが求められるようになると考えられます。
現在のアセスメントは、道具を使用しない条件下における個人の知識・スキル・能力を測定する目的で設計されていることが多いですが、今後はAIを活用したときのパフォーマンスを測定するアセスメントが必要になると思います。あくまでも一例ですが、ChatGPTや画像生成AIを活用して、条件に合致したわかりやすいマニュアルを10分以内に作成するなど、より実践的なアセスメント課題が考えられます。ここで興味深いのは、これまで所要時間が長すぎて出題できなかったタイプのアセスメント課題が、AIを活用することで現実的な時間で解けるようになり、出題できるようになる可能性があることです。そのようなアセスメントの信頼性・妥当性はどの程度か、AIを使用しないアセスメントとどれぐらい結果に差が生じるのか、作問・採点にかかる費用は得られる情報の価値に見合っているのか、などさまざまなリサーチクエスチョンが考えらえます。これらは測定・評価に関する研究テーマですが、先に挙げた資質・能力および態度・価値観を備えた人材をどのように育てるのかという指導・育成の観点からも、新しい研究が必要になると思います。
プロフィール
野澤雄樹
ベネッセ教育総合研究所 所長
のざわ ゆうき ●アイオワ大学大学院教育学研究科博士課程修了(Ph.D. in Psychological and Quantitative
Foundations)。専門は教育測定学。ACT, Inc.研究員(Research Associate in Measurement
Research)を経て株式会社ベネッセコーポレーション入社。ベネッセ教育総合研究所において主席研究員、資質能力測定研究室室長、学習科学研究室室長を経て2023年1月より現職。