2015/07/27
[第2回] 二つの時間を過ごし分ける——少年少女の「社会」変容 [3/4]
4. ネット社会での行動には慎重
ネットでの社会生活の中心は、中高校生の場合、ネット社会で出会う、つきあうといった、親密圏の人間関係・コミュニケーションを標準的なタイプとする「行動」である。リアル社会での公的活動に当たる領域で積極的に行動する層は多くない。ネット利用者のうち、社会のできごとについて投稿する高校生は、1年生9.7%、2年生6.3%に過ぎず、個人的なできごとの投稿が、高校1年生39.1%(女子46.8%)、2年生32.1%(同39.6%)であるのと比べると大きな差がある。「ブログ・ホームページを作成・更新しない」高校生(89.7%)、「匿名掲示板(2ちゃんねる)を見たり書きこんだりしない」高校生(71.9%)が圧倒的であることからも、社会参加的な行動に消極的であることがわかる。「掲示板などへの書きこみをしない」(52.6%)、「ブログやプロフィールサイトを作らない」(44.0%)、「SNSサイトを利用しない」(31.0%)というルール(禁忌)意識が相当にあることは、ネット社会での公共圏的な領域に参加することへの躊躇、慎重さが窺われる。ツイッターでの発信内容、つながりにも公共圏的な内実はありうるから、行動の実態はもう少し入り組んでいるかもしれないが、ネット社会では、おおむね、そしていまのところ、私的(と意識される)領域にかぎる参加・行動が志向されていると言えるだろう。
こうした慎重さが生まれる根拠は、一つには、ネット社会での公共圏的な領域が持つ独特な性格、リスクにあるかもしれない。匿名の攻撃を受けかねない場所に出て行くのは危ないという感覚で、そう感じさせる事例を高校生たちは知っている。ただし、ツイッターをほぼ毎日使っている高校生で、「知らない人とやりとりしない」と回答している者は26.2%に過ぎず、ゲームをほぼ毎日している高校生でも36%と、ネット利用者全体の平均(43.5%)よりも低い。ネット社会に「いる」以上、未知の人とのやりとりが避けられないことの反映であろう。
もう一つ、公的な場で行動するだけの準備・環境が高校生にはまだない点に注意したい。それは当然と感じられるだろうが、むしろ、私的領域に行動を限る(その場合でもリスクはある)ことの方に不自然さがあるかもしれない。社会のできごとについて高校生が投稿することを、「まだ早い、ダメ」と禁じる理由はないはずで、ネット社会で活動できる環境が私的領域にしか整っていないとすれば、その方がおかしい。それでも、新聞に投書する高校生がどれだけいるかを考えると、ネット社会での方が少年少女の社会活動の余地は広がっていると見ることもできそうだ。
5. ネット社会に限るつきあい方
私的領域での活動の中心をなす友だちづきあいについて見てゆく。ネット社会から生まれた友人関係がある者の割合は中学3年生、高校1年生が高く、ざっと4人に1人の割合で、女子ではいずれもほぼ3割である(図4)。人数では高校生の方がやや高い(中央値、中学生11人、高校生15人)。ただし、ネットで知り合ったと言っても、LINEを組んだときに、リアル社会での友だちの知り合いで自分は面識がない等のケースがあるから、ネット社会でたがいに初めて出会うことを厳密に取れば、これより少ない可能性はある。だが、「リアル社会ではたがいに直接知らない」という条件には当てはまり、多数ではないが、ネット社会で生まれたつきあい経験を持つ層が確実に存在する。そこで、ネットを通じて知り合った人間とリアル社会でも会うことの危険を大人が気にするのも当然だろう。
図4 インターネットで知り合った人・友だちのいる割合
注)対象は、インターネット利用者。
とはいえ、ネットで知り合った人がいる高校生の内、直接にも会ったことがあるのは3割強で、ネットを利用する高校生全体の8.4%に過ぎない。ネットがなければ、そもそもそうした機会自体が存在しないと考えれば、この結果でも、「危ない」と感じる向きがあるかもしれない。会いたいと思えば直接会えるような環境がつくられたことは確かだからだ。だからといって、ネット社会での出会い、知り合いを増やしたいと中高校生が考えているわけではない。「インターネットやメールでたくさんの人とつながりたい」と熱心に願う中高校生は1割以下の少数派で、「あまり・まったくそう思わない」方が、いずれも7割を占める。「知らない人に会わない」ことをルールとしている中高校生が7割前後であることも、直接会うことを抑制し、知り合うことと実際に会うことの間に何らかの心理的区分がはたらいていることを推測させる。ツイッターをほぼ毎日していて、知らない人とやりとりする心理的障壁の低い高校生の場合でも、「知らない人に会わない」禁忌意識は、65.1%と平均に近い。実際に会った経験のある中高生の場合、会っても大丈夫な条件の下で行動している(そういう条件があるから会う)とも考えられ、無警戒にリスクを冒していると決めつけることはできない。
ネットという「社会」でのつきあい方を検討するさい、リアル社会で会うことが持つ意味、つきあいにおける比重について考慮すべき点がある。リアル社会で会うことはネット社会での人間関係にあまり大きな意味を持たないかもしれない。対面関係の優越性というリアル社会の「秩序」や倫理とは異なる関係像が存在しているかもしれない。言いっ放しでもかまわないツイッターでつながる関係では、対面の優位を前提にした関係秩序は必要でない。(ツイッターを通じて高校生がつくっている「社会」の特徴について、より踏みこんだ検討が必要と感じる。ツイッターが生み出している社会圏は、ウチらのシャカイと筆者が呼ぶ友人関係中心の親密-社会の範囲よりも広い。SNSのようなネット社会の公共圏に参加することに高校生は消極的だが、ツイッターを通じてつくられるつながりにも、公共圏的な性格は存在する。ツイッターにおけるプライベートとパブリックの関係が問われる所以である。)ネット社会で趣味が同じ友だちと知り合う経験は、今や中学生でも普通のことになっているが、たとえば、そうやってネット上のファンサイト等で知り合った者同士がライヴで実際に会って話をするかどうかは別である。ネットで、「今日のライヴはどうだった」と交流することの方がつながり方の中心になっていても不思議ではない。オンラインゲームを通じてのつながり、ゲームの実況中継を通じてのつながり等々、同様の事例はいくらでも挙げられる。リアル社会のつながりに「発展」していないから関係としては希薄という判断はにわかに下すべきではないだろう。