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幻の『邪馬台国』か? 夢があふれる『吉野ヶ里遺跡』

『吉野ヶ里遺跡』・発見から学ぶ歴史の息吹

新しい遺跡や勾玉(まがたま)の発見、という言葉を見たり聞いたりしても、歴史に興味のない方には、あまりピンとこないでしょう。ですが、遺跡で発見された様々な物は、当時の人々の生活を知るうえでとても参考になり、興味のなかった歴史を学ぶきっかけにもなります。

夢があふれる、弥生時代の息吹を感じることができる場所に、『吉野ヶ里遺跡』(よしのがりいせき)があります。
『吉野ヶ里遺跡』は、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼(かんざき)市にまたがった場所にあります。弥生時代の大規模な『環壕集落(環濠集落)跡』として知られており、『国の特別史跡』に指定されています。
現在は国営公園と佐賀県立公園が一体化した『吉野ヶ里歴史公園』として整備されて、「弥生人の声が聞こえる」をテーマにいろいろなイベントや情報発信がなされています。

『吉野ヶ里遺跡』は最盛期、佐賀県神埼郡の「旧神埼町・旧三田川(みたがわ)町・旧東脊振(ひがしせふり)村」の3町村を含み、そこからの発見は弥生時代約700年にわたる、ムラからクニの中心集落・都へと発展する歴史の過程を教えてくれます。

弥生時代前期から集落が形成され、規模は小さいながらも防御と拠点をもつ環壕集落へと発展し、環壕跡内部からは土器や石器が発見されています。

弥生時代中期に入ると、集落規模も大きくなっていき、推定20ha以上の規模があったとされています。居住する場所と貯蔵する場所の区別ができており、首長の墓である巨大な墳丘墓(ふんきゅうぼ・土または石を積み重ねて丘のような形にしている墓)や一般の人の墓である長大な甕棺墓列(かめかんぼれつ・甕や壺を棺として列状に埋葬している墓)が作られます。土器や石器とともに青銅製の武器やガラス製管玉などの装飾品も出土しています。

弥生時代後期は、国内で最も大きい規模の環壕集落へと発展します。壕で囲まれた集落は40haを超し、環壕や城柵、櫓など、しっかりとした防御施設が造られました。
大型の祭殿や祭祀の場と考えられる『北内郭』や、高い階層の人々の居住区と考えられる『南内郭』、租税を収めたと考えられる『高床倉庫群』の存在が確認され、ムラからクニの中心集落へと大きく発展したことがわかります。

この後期の発展に見られる、祭殿や城柵が中国の文献、『魏志倭人伝』(ぎしわじんでん)にでてくる『邪馬台国』と関係があるのではないかと論じられる理由です。
『北内郭』や『南内郭』などは復元建物として、『吉野ヶ里歴史公園』で見ることができます。

卑弥呼・『邪馬台国』から学ぶ歴史の重み

弥生時代の後期に存在したとされる、『邪馬台国』とその政治を司った卑弥呼、どちらも謎に包まれています。
倭国(原始古代の日本)では、長い争いの末に『邪馬台国』の女王として卑弥呼が選ばれ小国の連合が生まれました。人前には出ず、鬼道(きどう)と呼ばれる占いで国を治めます。
近隣の大国であった中国の魏の皇帝に使いを出し、『親魏倭王』(しんぎわおう)の称号を得ています。

日本の文献に、当時の卑弥呼について書かれていないことも謎ですが、卑弥呼が治めた『邪馬台国』の場所についても諸説あります。
『邪馬台国』はどこにあったのか、魏志倭人伝の記載内容や遺跡の場所から、現在は近畿説と九州説が有力とされていますが、他の場所を有力とする説もあります。

各地において有力な伝承や遺跡があるにもかかわらず、いまだに場所が特定されないのはなぜでしょうか。それは「場所や物事を判断し決定するには、十分に調べたうえですることであり、安易に決めてしまってはいけない」からです。

卑弥呼が統治した『邪馬台国』を「歴史上」という大きな規模で例えましたが、日々の勉強や調べものについても同じで、ひとつの情報で簡単に決めるのではなく、いろいろな資料や情報を調べた結果で判断をすることが大切でしょう。

ただ、卑弥呼や『邪馬台国』などは、多少謎に包まれていた方が夢にあふれており、新たな発見につながるのかもしれません。

『吉野ヶ里遺跡』で勾玉作りをしてみましょう

『吉野ヶ里遺跡』がある『吉野ヶ里歴史公園』では、銅鐸(どうたく・楽器の一種で、のちに大型化し祭器となる)を鳴らしたり、土器などに触れたりすることができます。また、勾玉作りや火おこしなどの体験が随時できるようになっています。
その他にも、月間イベントを催していますので、弥生時代をより体感することができます。
駐車場も、東口駐車場・西口駐車場、現在は追加開園により北口と北口駐車場が用意されており、車でのアクセスも安心です。
『歴史公園センター』(東口)にあるレストランでは、地元の食材や有機野菜、古代米といわれる赤米が使われたランチが楽しめます。

アクセスマップ

名称:吉野ヶ里遺跡(吉野ヶ里歴史公園)
時間:4月1日~5月31日・9月1日~3月31日 9時00分~17時00分
6月1日~8月31日 9時00分~18時00分
休日:12月31日、1月の第3月曜日とその翌日
料金:大人(15歳以上)420円・小人(小・中学生)80円
シルバー(65歳以上)200円・幼児(6歳未満)無料
住所:佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843
電話:0952-55-9333
※情報は変更されている場合があります。

監修者プロフィール
河合 敦(かわいあつし)
多摩大学客員教授。歴史研究家。1965年東京都生まれ。多数の歴史書を執筆するとともにテレビやラジオなどのメディア出演多数。
代表的な著書に『日本史は逆さから学べ!』(光文社知恵の森文庫)、『もうすぐ変わる日本史教科書』(KAWADA夢文庫)などがある。

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