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復興城主制度も人気! 日本屈指の名城『熊本城』復興の歴史

城主・加藤清正の傑作、 270年後の近代戦闘でも通用した堅城

2016年4月に発生し、熊本を中心に大きな被害をもたらした熊本地震は、最大震度7の大災害でした。それに伴い、この地の象徴である『熊本城』も甚大な被害を受けました。

『熊本城』は、戦国大名にして城づくりの名手、加藤清正(かとうきよまさ)が工夫を巡らせて生み出した傑作です。

豊臣家に真心を持って尽くしていた加藤清正ですが、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の没後は徳川家康(とくがわいえやす)に近づきました。そして『関ヶ原の戦い』では徳川方東軍に属して九州で戦い、加増されて27歳のときに肥後(現在の熊本県)一国の領主となりました。

それと同時に築城し始めた『熊本城』は、江戸時代に入った1607年に完成しました。

『熊本城』の特徴には、何といってもその堅牢さが挙げられます。

石垣は末広がりから上部にいくにつれて急になる“武者返し”という造りで、攻められたときに敵がハシゴを石垣に掛けづらくなっています。

また、城内に井戸を120以上も掘ってあるのは、敵に包囲されたときのための備えで、加藤清正自身が朝鮮出兵の際に経験した籠城戦の苦労から、これだけの数の井戸を準備したと言われています。

長塀は242mの長さを誇り、これは現存する城郭のなかで最長です。さらに、完成当時は60もの櫓(やぐら)が敷地のいたるところに構えられており、どこから攻撃を受けてもすぐに対処できるようになっていました。

総面積98万㎡、周囲5.3km。その堂々とした城の佇まいを見るだけで、敵は戦意を失ってしまうほどの名城なのです。

『熊本城』の堅牢さを証明するエピソードがあります。

1867年、江戸幕府は『大政奉還』によって終わりをむかえ、明治時代に入っていました。

明治時代になって特権を奪われた武士は、新政府に対して不満をつのらせていました。
そこで勃発したのが、士族反乱です。その中でも最大のものが、西郷隆盛(さいごうたかもり)を中心とした『西南戦争』でした。

『熊本城』には新政府軍の鎮台がおかれていましたが、これを討滅するため西郷軍が攻め寄せます。しかしことごとく弾き返され、ついには城内に一兵も侵入できませんでした。築城からすでに270年が経過し、鉄砲や大砲が中心となった近代戦闘においても、この城は無類の強さを発揮したのです。

このとき、西郷隆盛はこんな言葉を残したといいます。

「わしは官軍に負けたのではない。清正公に負けたのだ」

城完成から4年後の1611年に、加藤清正はこの世を去っています。

ですが、遺作となったこの『熊本城』は、地元の象徴として街の中心に鎮座しており、築城主である加藤清正は“せいしょこさん”と呼ばれ、今でも熊本の人々から愛され続けているのです。

石垣の修復は? 名城『熊本城』の歴史は地震との戦い

2016年4月に発生した熊本地震で石垣や一部建造物が崩れてしまった『熊本城』ですが、『熊本城』はこのくらいでは決してヘコたれないでしょう。なぜならば、この城の歴史は災害の歴史であり、その度に立ち上がり続けてきたからです。

『熊本城』は加藤清正の手により、文明年間(1469~87年)に築城された古城の周囲に城郭が築かれ1607年に新城が完成しましたが、約20年後の大地震による被害で天守付近の石垣の一部が崩落しました。
築城当時の荘厳な姿は一部失われてしまいましたが、それから7年後に肥後の新藩主となった細川忠利(ほそかわただとし)が10年以上かけて修復しました。

しかし明治時代に入ると、『廃城令』が発令されたこともあり、もはや城を必要としない時代となって、一部修復された櫓もありましたが崩れた天守が再建されることはありませんでした。

また、『西南戦争』では、敵の侵攻は防いだものの、1877年に起きた原因不明の火災により大天守をはじめ、多くの建造物が焼失します。
1889年には熊本地震が起き、この他にも、江戸時代に起きた複数回の地震や、1894年の大地震によって『熊本城』は甚大な被害を受けました。

およそ80年の間、天守が再建されずに放置されていた『熊本城』ですが、1960年になると「熊本城の天守をおがみたい」という市民からの寄付が募られ、当時を再現した大天守が見事に完成しました。

今も昔も変わらず、市民にとって『熊本城』はなくてはならない存在であり、現在は熊本復興のシンボルとして紹介されています。

――どんな苦境に立たされても諦めてはいけない。

『熊本城』の歴史と現代の姿から、お子さまにそんな「教え」を伝えられるのではないでしょうか。

天下の名城『熊本城』へ行ってみましょう

『熊本城』は名将・加藤清正により400年以上前につくられ、彼の死後、細川家11代にわたって継承されてきた熊本県の象徴です。旅行口コミサイト『トリップアドバイザー』が調べた『行ってよかった日本の城ランキング』では、3年連続(2013年~2015年)1位に輝いた実績もあります。

アクセスマップ

名 称:熊本城
時 間:2017年8月現在、多くの部分が立ち入り禁止(二の丸広場、加藤神社から見学可能)
休 日:-
料 金:-
住 所:熊本県熊本市中央区本丸1-1
電 話:096-352-5900(熊本城総合事務所)
※情報は変更されている場合があります。

監修者プロフィール
河合 敦(かわいあつし)
多摩大学客員教授。歴史研究家。1965年東京都生まれ。多数の歴史書を執筆するとともにテレビやラジオなどのメディア出演多数。
代表的な著書に『日本史は逆さから学べ!』(光文社知恵の森文庫)、『もうすぐ変わる日本史教科書』(KAWADA夢文庫)などがある。

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