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ひこにゃんで有名な彦根市の観光名所『彦根城』

城主は多くの大老を輩出した井伊家! 築城400周年を超えた『彦根城』とは?

かぶとをかぶった猫の姿をした『ゆるキャラ・ひこにゃん』で知られる滋賀県彦根市には、江戸時代に数々の大老を輩出した名門・井伊家が住んでいた『彦根城』があります。

当時、この地域には『佐和山城』という石田三成(いしだみつなり)が住んでいたお城があり、井伊直政(いいなおまさ)もはじめは『佐和山城』に住むことになりますが、中世的な古い造りや敵だった石田三成の居城だったという理由で別のお城を建てようと計画しました。

井伊直政はその後、「関ヶ原の戦い」で負った傷が癒えず亡くなってしまい、家老の木俣守勝(きまたもりかつ)が遺志を継ぎ、徳川家康(とくがわいえやす)と相談して『彦根山』に築城を開始しました。約20年かけて『彦根城』を完成させました。

明治時代になると『廃城令』が出され、各地のお城が次々と取り壊されていく中、『彦根城』は天皇から城の保存を命令され、破却を免れました。一説によると、大隈重信(おおくましげのぶ)が天皇に破却の中止を申し上げたと言われています。

『彦根城』は『東映京都撮影所』などに近いことから、時代劇のロケが行われることが多く、小規模なお城のシーンでは『彦根城』が映されていることが多いそうです。もしかすると、みなさんがこれまでに見た時代劇にも登場していたかもしれません。

中世と近世のいいとこ取り! 『彦根城』から学ぶ【教え】

『彦根城』は“刀ややり、弓矢で戦をしていた中世”と“鉄砲での戦に備えた近世”という二つの時代のお城の特徴を備えたお城です。

中世では武将が名乗りを上げて直接攻め込む戦い方をしていたので、お城の周りに塀を造って、堀を巡らせば敵が近づくことができませんでした。

しかし、近世になり鉄砲が伝わると、遠距離から攻撃をしていく戦い方に変わり、ひとりではなく集団で攻め込むようになってきたので、堀は昔と比べて幅が広くなり、上から鉄砲で攻撃できるように鉄砲を構える隙間(銃眼)を設けるようになりました。

『彦根城』は山のすそを断崖にして敵が登れないようにしたり、「西の丸」と「出郭」の間に空堀(からぼり・水の張っていない堀)を設けているのが中世的な造りで、石垣を高くしたり、鉄砲の玉を通さないように天守の壁に石を埋めたりしているのが近世的な造りだといえます。

このように、『彦根城』はその時代の戦い方に合わせて最適な構造が取られています。そんな『彦根城』から学べることは、変化を恐れてはいけないということです。

もし近世になって『彦根城』に鉄砲への対策がなされていなければ、お城はいともたやすく攻められてしまい、お城としての役目を果たすことができませんでした。しかし、『彦根城』は時代に合わせて柔軟に造りを変えることによって強固さを保ち続けたのです。

桜がきれいな『彦根城』に行ってみましょう

歴代の彦根藩主が居城として住んでいたお城で、天守は国宝に、各櫓(やぐら)や馬屋などの多くの建物が重要文化財に指定されています。2007年には築城から400年を迎え、「国宝・彦根城築城400年祭」が開催されました。堀の桜は『彦根城』の見どころのひとつとなっています。城内には『彦根城博物館』もあり、井伊家に伝えられている美術工芸品や古文書が数多く展示されています。

アクセスマップ

名 称:彦根城
時 間:8時30分~17時00分
休 日:無休
料 金:一般1000円・小中学生300円
(玄宮園のみの観覧料 一般200円・小中学生100円)
住 所:滋賀県彦根市金亀町1-1
電 話:0749-22-2742
※情報は変更されている場合があります。

監修者プロフィール
河合 敦(かわいあつし)
多摩大学客員教授。歴史研究家。1965年東京都生まれ。多数の歴史書を執筆するとともにテレビやラジオなどのメディア出演多数。
代表的な著書に『日本史は逆さから学べ!』(光文社知恵の森文庫)、『もうすぐ変わる日本史教科書』(KAWADA夢文庫)などがある。

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