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無血開城の舞台、『江戸城』とその歴史

花の都に鎮座した『江戸城』その場所は?

徳川家康(とくがわいえやす)は、『関ヶ原の戦い』で大勝利をおさめ、徳川の世を生み出しました。

徳川家康が将軍の座を嫡子の徳川秀忠(とくがわひでただ)に譲るまで腰を据えたのが、この『江戸城』です。徳川氏15代の居城となりました。

豊臣秀吉(とよとみひでよし)により、東海地方から異動を命じられた時は、江戸の地はそこそこ繁栄していたとはいえ、現在の東京の繁栄から見れば想像もできないような田舎でした。
しかし、徳川家康は天下をとると、天下普請(てんかぶしん・江戸幕府が諸大名に命令して、土木工事を行わせること)によって『江戸城』とその城下に大規模な土木工事をほどこします。建てられた『江戸城』天守閣も、5重5階の壮大な城構えで、徳川家の力を日本全国に知らしめるに足る迫力でした。

場所は現在の東京都千代田区で、皇居ランナーがぐるぐると回る堀の中にあります。

――現在は『江戸城』には天守閣がなく、天守台のみが残された状態ですが、2020年の東京五輪に向けて『江戸城』再建を目指す運動もあるようです。

それでは、なぜ天守閣がなくなってしまったのでしょうか。

『江戸城』本丸・天守閣が再建されない理由は?

江戸時代末期に、『江戸城』は旧幕府軍から新政府軍へと無血開城されていますが、その混乱の中で、燃やされてしまったのでしょうか。

実は、火事によって焼失したことはまちがいないのですが、『江戸城天守閣』は1657年の江戸中に広がった大火事で焼き崩れて以来、再建していないのです。

この大火事というのが『明暦の大火』で、“振袖火事”とも呼ばれる災害です。

なぜ振袖なのでしょうか。
麻布質屋の娘「梅乃」(うめの)は、お花見ですれ違った寺小姓に心を奪われてしまいます。
この気持ちをどうしても忘れられなかった「梅乃」は、その男性が着ていた着物によく似た生地で振袖を仕立ててもらうことにしました。

しかし、「梅乃」は16歳の若さで亡くなってしまいます。両親は棺をその着物でおおって葬式をすませ、『本妙寺』に納めました。

『本妙寺』はその振袖を古着屋に出し、それを買った「きの」という娘も同じ16歳で病死し、また振袖が『本妙寺』に納められました。

『本妙寺』はまた古着屋に売り、さらに古着屋でその振袖を購入した「いく」も16歳で病死という具合に、同じ16歳の娘が同じ1月16日に亡くなったということで、お寺で焼いて供養することになりました。

そして、『本妙寺』の和尚が焚いた炎の中に、振袖を投げ入れたとたん、火のついた振袖が風に舞い上がって本堂を焼くと、再びどこかに飛び去り、各地で大火事を巻き起こした、といわれています。

もちろん、これは一種の伝説でどこまで本当かはわかりませんが、次々と火は燃え移り、最終的に4万8000戸の家屋を燃やして死者は10万人に達したそうです。

当時の江戸の人口が約50万人ぐらいと思われるので、およそ5人に1人が犠牲になった計算になります。

「火事とけんかは江戸の花」

とは言いますが、ここまでの火事になるとは誰も想定していなかったでしょう。

これによって、『江戸城』の「本丸、二の丸、三の丸」が焼失しました。

江戸時代は250年以上続いているので、街が復興するように、徳川家の権威の象徴である天守閣も再建するチャンスはあったでしょう。

しかし、質素倹約が性分だった徳川家康時代の、徳川家の家風がしっかりと受け継がれていたのか、この災害処理の担当を任せられた4代将軍・徳川家綱(とくがわいえつな)の後見人・保科正之(ほしなまさゆき)は、江戸市街の復興や被災者の救済を最優先に考え、また経済的な理由から再建を見送りました。

民衆のことを思いやる気持ちが江戸幕府にあったからこそ、江戸はこの後、約200年先まで花の都であり続けられたのでしょう。

時には自分のことよりも誰かを優先させる懐の深さを持つことで社会に役に立つこともあります。お子さまにも、このことを『明暦の大火』と『江戸城』のお話とともに教えてあげましょう。

天守閣はなくても魅力たっぷりな『江戸城』へ行ってみましょう

1590年、徳川家康が豊臣秀吉の指示によって東海地方から江戸へ移ったことから『江戸城』と江戸の街づくりが始まりますが、本格的な工事は天下をとった後からです。天守閣は3度に渡り建て直されました。しかし1638年、3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の時に完成した最後の天守閣は、1657年の『明暦の大火』により焼失してしまい、再建されることはありませんでした。現在は皇居の一部になっていますが、城門や詰所、櫓(やぐら)などを見学でき、広場で憩う人々も多くいます。

アクセスマップ

名 称:皇居東御苑
時 間:9時00分~16時30分(入園は16時00分まで)、4月15日~8月末日は9時00分~17時00分(入園は16時30分まで)、11月1日~2月末日は9時00分~16時00分(入園は15時30分まで)
休 日:月曜日・金曜日(ただし天皇誕生日以外の祝日だった場合は公開。月曜が祝日で公開する場合は、翌火曜日を休園)12月28日から翌年1月3日まで
料 金:無料
住 所:東京都千代田区千代田1-1
電 話:03-3213-1111(宮内庁)
※情報は変更されている場合があります。

監修者プロフィール
河合 敦(かわいあつし)
多摩大学客員教授。歴史研究家。1965年東京都生まれ。多数の歴史書を執筆するとともにテレビやラジオなどのメディア出演多数。
代表的な著書に『日本史は逆さから学べ!』(光文社知恵の森文庫)、『もうすぐ変わる日本史教科書』(KAWADA夢文庫)などがある。

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