2022/07/06

技能五輪全国大会・国際大会(世界大会)で活躍!周囲の協力を力に、自身の理想の姿へ向かっていく /下原 侑也

 各界で活躍する20代・30代の若者のインタヴューを通して、これからの社会で「活躍」し、「well-being」に生きる多様なモデルを、そして社会のよりよい未来を考えるヒントを探っていきます。
 今回は、大分県立大分工業高校から日産自動車株式会社に入社し、入社2年目に出場した技能五輪「自動車工」職種競技の全国大会で優勝、3年目には国際大会で銅メダルを獲得した下原侑也さんにお話をうかがいました。
下原 侑也

下原 侑也

日産自動車株式会社
1996年生まれ。大分県宇佐市出身。大分県立大分工業高等学校電気科卒業後、2015年、日産自動車株式会社に入社し、技能五輪部門に所属。入社2年目に技能五輪「自動車工」職種競技で全国大会優勝を果たし、3年目に出場した国際大会では銅メダルを獲得。2017年、同社のグローバルアフターセールス商品開発&エンジニアリング事業本部 グローバルアフターセールスエンジニアリング部へ異動し、顧客対応に従事。

技能五輪全国大会と国際大会への挑戦

 技術者にもオリンピックがあるのを知っていますか?
 技能五輪は、若い技術者がものづくりの技能を競う大会のことです。金属の加工や機械の組み立て、プログラミング、服飾、家具の製作といった約40種目が設けられています。日本の全国大会は、毎年開催され、約1200人が出場します。2年に1度、国際大会も開催され、日本では大手自動車メーカーや機械メーカーが、企業のイメージ向上と若手技術者育成を目的として、全国大会上位を目指し、国際大会出場に向けて力を注いでいます。
 私が技能五輪を知ったのは、高校3年生の時です。高校時代の私は、バレーボールの強豪校である工業高校でバレーボールに打ち込んでいましたが、高校でバレーボールは終了し、大学に進学したいと思っていました。当時は、工業や機械系の仕事への興味が強かったという訳ではありませんでした。しかし、ある日、日産自動車(以下、日産)から技能五輪に出場した選手が高校に来校され、自動車エンジンの分解のデモンストレーションをされたのを見て、ガラリと進路を変えました。作業には無駄な動き一つなく、「おもしろそうだな!」と直感的に思ったのです。技能五輪の全国大会に出場できるのは23歳まで。また、大学卒業後に日産に入社できる保証はないため、「日産に就職したいです」と高校の進路面談で伝えました。高校からの推薦を受けて日産への入社が決まり、念願の技能五輪部門へ配属されました。
 毎年、日産からは技能五輪の6部門に出場しています。私は「自動車工」部門の出場者に選抜されました。同部門には、全国の企業や専門学校から多くの技術者が参加します。私は、1日8時間、毎日知識を蓄え、修理訓練を積み、出場に備えました。
 最も心がけたのは、いかにスピーディーに作業するかです。次の作業に移る動作に無駄がないようにし、1秒をどう削るかにこだわりました。また、大会出場には体力と筋力も重要だと学び、ランニングや筋力トレーニングも行いました。
 そして入社2年目の2016年、山形県で行われた第54回技能五輪全国大会に出場しました。私が出場した年の「自動車工」部門は、エンジンの分解といった作業系の課題が2つ、電気やワイパーがきちんと作動するかといった診断系の課題が2つあり、競技時間は合計で約10時間、2日間に及びました。「いつも通りできれば優勝できる」、そう自分に言い聞かせて臨み、優勝を果たすことができました。
技能五輪国際大会の競技に挑む下原さん
技能五輪国際大会の競技に挑む下原さん
 翌年の2017年、アラブ首長国連邦・アブダビで開催された技能五輪国際大会には日本代表として出場しました。どの部門も国内の大会を勝ち抜いた精鋭たちが技術力を競います。
 国際大会の課題は、国内の大会では経験できないほど高いレベルです。そこで、対策として、過去に国際大会を経験した社内の先輩に指導をあおぎ、専門的な鍛錬を積みました。金メダル獲得を目指したものの、結果は33か国中3位の銅メダル。悔しくもありましたが、日本勢としては2011年イギリス・ロンドン大会以来のメダル獲得。自分の技術力を高め、世界へ挑戦し入賞を果たして会社にも貢献できたことは、自信にもつながる貴重な機会となりました。

仲間たちと一つの目標に打ち込む楽しさを学んだ高校時代

 その後、アフターセールス部門のグローバルアフターセールスエンジニアリング部に異動しました。この部では車を整備・修理するために必要な情報や機器を開発して世界中に提供しています。その中で私が担当しているのは海外の修理工場などから、現地工場内では原因がわからない不具合の問い合わせに対し、スピーディーに原因を特定し、解消法を提示するという仕事です。サービスマニュアル(車の修理要領書)などを使い、どこにトラブルが発生しているのかを特定する業務は、技能五輪での経験がもちろん生きています。しかし、現実の不具合は技能五輪などで設定される不具合よりもずっと複雑にいろいろな要素が絡んで発生しています。例えば、お客様が車をどのようにご使用されているのか、どういった場所を走ってきたのか、そうしたことも含めて検証していくことが重要になり、自分とは違った知識や専門性を持った人たちとも力を合わせて問題解決をしていきます。
 私たちの部署では、「問い合わせがあった現場に、修理情報をどれくらいの時間で提供できるか」を月ごとに目標として掲げています。それはグループ全体の目標であり、メンバー一丸となって取り組んでいます。決して容易な目標ではないので、仲間と力を合わせて目標をクリアできた時は、メンバーとともに心から喜びを分かち合います。
 振り返ると、私は仲間とともに一つの目標に向けて打ち込むことが心から好きなのだと思います。高校時代、私はバレーボールに打ち込んでいました。県内有数のバレーボール強豪校であった工業高校の監督に声をかけられ、工業高校への入学を決意。親元を離れ、監督の家に下宿し、3年間バレーボール漬けの毎日を過ごしました。1年生と2年生の時には、全国大会にも出場しました。
 バレーボールは、チーム競技であり、1人が目立っても勝てるわけではありませんし、ポジションによって求められる能力も異なります。それは、今の仕事にも通じます。車の不具合も原因はいろいろであり、私自身の専門性で対応できる部分とそうでない部分があります。グループの4人で分担し、場合によっては設計部門などの他部署の力も借りて、それぞれの能力を生かして、より早く、より正確に、海外の修理工場そしてお客様をサポートします。メンバーそれぞれの力を生かして、一つの目標に向けて努力をした高校時代の体験が、今の仕事にも大きな影響を与えているのです。

お客様の要望にもっと応えられる自分でありたい

 今の自分を自己評価すると「まだまだ」です。もっと広く深い知識を得たい、スピーディーに仕事ができるようになりたい、英語でのコミュニケーションをスムーズに行いたい……と、超えたいハードルはたくさんあります。
 その根底には、お客様の要望にもっと応えられる自分でありたいという思いがあるのかもしれません。以前、自分の車が故障し、修理のため、レッカー車で運ばれるのを見送ったことがありました。修理が終わるのを、首を長くして待っていたのですが、連絡は一向に来ず……。不安がどんどん募っていきました。そうした思いを、お客様には決してさせてはいけません。
 自分が目指す姿となるために、これから身につけたい力は大きく2つあります。1つは、チームをまとめ、改善策を明確化し、問題の解決に導くリーダーシップです。社歴が上がるにつれて、リーダーとしての役回りは増えていくはずですし、現職でも「どんどん経験してみろ」と改善の業務を任されるようになりました。
 また、これまでに何度か、高校生を対象に講演をする機会をいただきましたが、私の話を聞いて、日産の技能五輪部門に進んだ高校生もいます。かつて自分が、高校での講演をきっかけに技能五輪に興味を持ち、進路を決めたように、後輩に道を作れたことを誇りに思います。今の部署においても、若手が入ってきた時に、「あの人みたいになりたい」と目指してもらえるような自分でありたいと思っています。
 もう1つは、海外の方とコミュニケーションをする際に過不足なく意思の疎通ができる英語力を身につけることです。毎日英語でやりとりをしているので単語などは覚えていくものの、少し複雑な文章になると理解や伝達に時間がかかってしまいます。高校時代は、仕事でこんなにも英語が必要になるとは予想もしていませんでした。時間を巻き戻して高校生の自分に、「英語を勉強しておけ!」と伝えたいくらいです。
 また、今の部署では、不具合への対応を素早く行うのはもちろんなのですが、工場などからの問い合わせを生かして、不具合を起こさない自動車づくりをしていくことが重要です。起きた不具合を設計にフィードバックして、改善してもらうなどの取り組みも行っています。
 工場からの問い合わせは、様々なシステムが使われているのですが、それらを統一してすべての方が使いやすいシステムにするとともに、データをより活用しやすくする仕事もあります。その仕事は見ていて面白そうだなと思いますし、機会があればそうした仕事にもチャレンジしたいです。

「すべては自分次第」、目標に向かう姿を示すことで周囲が応援してくれる

 私は「すべては自分次第」と思っています。どのような環境であっても、自分の姿勢や努力で道を切り拓くことはできるはずです。「自分に知識や経験がないからダメだ」……と自分の中で境界線を引くのではなく、「挑戦してみよう」というチャレンジ精神と謙虚な気持ちを持って学んでいけば、次第に成果は出てくるはずです。
 例えば、私が日産に入社した時には、技能五輪に関する知識が全くない状態で一から学んでいきました。ただし、技能五輪で結果を出せたことも、現在の部署でお客様のサポートを素早くできていることも、私ひとりの力でできたことではありません。周囲の人がサポートしてくれているからこそ、私は頑張り続けることができるのです。
 振り返れば、バレーボールに打ち込んでいた時も、日産に入社した時も、いつも私は周囲の人たちに応援してもらってきました。そういう意味では、「応援される力」があるのかもしれません。自分の目指すものが明確であり、頑張っていれば、応援してくれる人が必ず現れます。これからも周囲の人に支えられながら、目標に向けた挑戦を続けていきたいと思っています。

編集後記

 取材中、「みんなで目指すこと」や「協力し合うこと」と、何度も口にされていた下原さん。周囲の人とつながり合い、協力し合い、さらにそれが自身の幸せにつながっているという感覚を、強く抱いているのでしょう。
 また、現状に簡単に満足せず、「こうありたい」という理想の姿を追い求め、努力しているからこそ、周囲の人たちは下原さんの力になりたくなる、協力したくなるのだと感じました。そうした力こそ、下原さんの挑戦を支える重要なポイントなのだろうと思いました。
2022年3月4日取材