2014/11/17
第58回 日中の子ども研究から互いに学びあうこと
ベネッセ教育総合研究所 情報編集室
主任研究員 劉 愛萍(リュウ アイピン)
主任研究員 劉 愛萍(リュウ アイピン)
2014年10月18、19日、中国・上海において、「遊びから学びへ~脳科学の視点から~」をテーマに、第10回東アジア子ども学交流プログラムを開催しました。
東アジア子ども学交流プログラムはチャイルド・リサーチ・ネット(CRN、ベネッセが支援する「子ども学」(注1)研究所)が2007年から実施している交流プログラムです。子ども学の国際的な普及を念頭に、子どもを取り巻く諸問題の解決や環境改善するために、役立つ学術活動を推進することを目指しています。日本、中国をはじめ、韓国、台湾など東アジアの育児・保育・教育に関わる大学・研究者の相互交流を行っています。今までは長沙、東京、上海、北京、杭州、台湾などで計10回の活動を行いました。
第10回目の今回は、中国大陸、台湾、日本の研究者に加えて、中国の幼稚園教員を含め、計300名余りの方が集まり、議論を深めました。
テーマ: 遊びから学びへ~脳科学の視点から~
会場の様子
中国の幼児教育の現場は、「科学」を求めている
子どもは生物的な存在として生まれ、社会的な存在として育てられます。子どもに関する諸問題を解決するには、科学的な根拠を用いて、生物的な側面と社会的な側面から、学際的なアプローチしていくことが必要だというのが、「子ども学」の発想です。
今回の大会のスピーカーの顔ぶれを見てみると、日本からは医学者、ロボット研究者、中国各地からは医学、脳科学、発達心理学、教育学と多岐にわたる各分野の研究者が集まりました。
「医学的に子どもの身体のメカニズムや睡眠などの側面から、保育を科学する」、「遊びはどのようなメカニズムで、子どもの発達を支えるのか」、「脳の発達と乳幼児教育の関連」、「赤ちゃんのもつ学習能力、教えられる能力」、「特別なニーズをもつ子どもへの、早期発見、早期治療の重要性と実践事例」など、研究の知見の共有とその知見を現場に生かす事例が、数多く発表され、現場の先生と共に熱い議論が交わされました。
パネルディスカッション
(幼児期の学びと遊び)
(幼児期の学びと遊び)
中国の子どもによる遊びの工夫
保育のニーズが高まる中国
会議終了後、中国の幼児教育の研究者と会談し、幼稚園教員養成校の見学を行いました。そこで感じたことは、2歳未満の子どもについての保育のニーズが大変高くなっているものの、ノウハウや経験が不足しているということです。日本の関心の中心は幼保一元化ですが、中国ではむしろ保育の方が再び重視され始めています。
中国ではもともと、保育を担う託児所(0-3歳)と教育を担う幼稚園(3-6歳)がありました。しかし、一人っ子政策と経済改革開放が進み、農村出身のベビーシッターを雇う家庭の増加と母親の早期退職や解雇などの理由で、乳幼児の家庭での保育が増えて、施設での保育のニーズが低下しました。そのため、多くの託児所は幼稚園に吸収合併され、消滅してしまいました。
幼稚園での言語活動
かくして、中国での乳幼児保育は家庭の中で行うことが主流となったいま、夫婦は基本共働きのスタイルですので、日々子どもの面倒を見ているのは祖父母や農村出身のベビーシッターが中心になっています。「祖父母や農村出身のベビーシッターに任せるには、科学的な子育てができるのか」と不安を抱く保護者も多くなってきています。
そもそも「子どもを人生のスタートラインで負けさせてはいけない」という親の乳幼児への教育願望は、社会一般に根強くあります。それに応えるように、1つの取り組みとしては、各地に「親子中心」や「親子園」と称する保育関連施設が数多く設立されました。親と子は決められた時間に施設へ赴き、指導員は決められたカリキュラムの中で、指導活動を行うという取り組み具合です。
もう一つの取り組みとして、乳幼児の早期ケアと教育のために、2003年に、国家労働・社会保障部が新たに設けた専門資格「育嬰師」(イクエイシ)の存在が挙げられます。子どもの成長・発達、栄養、教育を一手に担うこの専門職の役割は、いま一層注目を浴びています。
保育のプロ「育嬰師」の誕生
いわゆる「育嬰師」資格とは、国家職業資格であり、初級の5級「育嬰員」から、4級の「育嬰師」と、3級の「高級育嬰師」の3つの資格にランク分けされています。中学校卒業レベル相当の志願者はまず、職業訓練校で一定の授業数(育嬰員、育嬰師、高級育嬰師それぞれ、80単位、100単位、120単位)をクリアしたうえで、受験資格を取得します。資格試験の科目には、乳幼児の身体や心の発達に関する基礎知識や生物学、発達心理学、栄養学、教育学、子どもに関する法律・法令などの知識の筆記テストと、実技のテストも設けられています。赤ちゃんの入浴の仕方、ミルクの作り方・与え方、離乳食づくり、救急救命措置などの実技テストが行われます。
育嬰師を訓練する場面
高級育嬰師の資格証書(見本)
このように、近年中国政府は乳幼児領域を重視し始め、幼児教育への投資も増やしています。10数年前までは、教育予算の1.3%を幼児教育に充てていましたが、いまでは、3.2%にアップしています。(注2)ただ、それはあくまでも3-6歳の幼児教育への投資であり、0-3歳に回す予算はまだ限られています。
前述のように、現状中国の0-3歳の子ども(とりわけ2歳前の子ども)は家庭内保育が主流ですので、実際には、「育嬰師」が保育施設ではなく、家庭で直接保育する、いわば質の高い「ベビーシッター」と化した事例が多いです。利用料金はそれなりにかかるので、都心部で富裕層のみ利用できるような育児サービスへと変質してきている、と指摘する専門家もいます。
互いに学び合うことで研究を推進
日本の保育の中で、アジアそして世界に誇れるものはたくさんあるように思います。その中でも、特に特記すべきなのが保育の質の高さだと私は思います。国民全体の教養レベルの高さとも関連しているように思いますが、子どもに寄り添う保育の理念と実践、すべての子どもに「楽しい」と思えるような保育を目指すことは、まさに素晴らしいものです。
実際、ある中国の学者がご自身の在日育児体験から、日本の保育園での「12の驚き」(注3)と称して、日本の保育園事情を自分のブログに綴り、中国国内で大きな反響を巻き起こしました。その記事の中に、「日本の保育園は、利用者の収入によって月額利用料が決められ、また上限も設定されています。その上、専門性の高い保育者による豊富な保育活動の内容が魅力です」と、生の日本の保育園事情を紹介し、大いに中国の保護者の心を揺さぶる記事となったようです。
一方、中国ではこの20年間で市場経済の導入により、社会全体はダイナミックな変化を遂げました。ただ、それが故に、地域格差が大きくなり、さまざまな社会問題も現れてきました。しかし、今回の会議を通じて痛感したことは、中国における育児現場の教師と専門家が互いに力を合わせて、少しずつ現状を改善し、子どもによりよい幼児教育を提供する熱意とパワーに関しては、日本で感じたことのない強烈なものがありました。
「子どもの遊びの自主性と先生のかかわりの問題」、「乳幼児教育の中にどのようにハイテク技術を生かす問題」、「幼稚園の現場で子どもの自主性と興味を喚起させるために、多様な環境や素材をどのように用意するか、うちの園はこのように実践しているが、専門家がどう思われるのか」、「幼児教育の本当の価値はどこにあるのか」等々は核心に迫る質問で、専門家も一つずつ丁寧に答えていく・・・、その真剣さと熱心さに圧倒されました。
今回の交流プログラムを通じて、日中の学者が互いにそれぞれの現状と課題、またそれぞれが持つ優れた知見と経験を共有し、比較することで、子どものための研究をまた一歩前へ進めることができたと感じます。それはまさにこの交流プログラムの本当の狙いでもあります。中国の先生方が日本の幼稚園、保育園を視察し、日本から学ぼうとすることが多いとよく耳にしますが、日本も中国から学ぶことがたくさんあるのではないでしょうか。今後もこのような相互理解や相互交流の活動を一層広めていきたいものです。
注1
「子ども学」とは、子育て、保育、教育に関わるすべての方が学問の壁を越えて、学際的、総合的に子ども研究を進める学問です。詳細はCRNのサイトを参照。
http://www.crn.or.jp/LIBRARY/KOBY/HAJIME/index.html
「子ども学」とは、子育て、保育、教育に関わるすべての方が学問の壁を越えて、学際的、総合的に子ども研究を進める学問です。詳細はCRNのサイトを参照。
http://www.crn.or.jp/LIBRARY/KOBY/HAJIME/index.html
注2
《中国教育報》2014年6月5日第3版の報道によるもの。
《中国教育報》2014年6月5日第3版の報道によるもの。
その日本の保育園での「12の驚き」とは、「数多くの物入れ袋を用意しなければいけないこと」、「カバンは子どもが自分で持つこと」、「園で、一日数回着替えをすること」、「冬でも短パンを穿くこと」、「0歳児でも運動会に参加すること」、「女の子でもサッカーをすること」、「異年齢保育の実施」、「子どもに『笑顔』と『感謝』の気持ちを教えるよう重んじること」、「年間を通してのイベントは数えきれないほど多いこと」、「季節ごとのお祝いイベントも多いこと」、「保育園教師の専門性の高さ」、「仏教の教えを教えること(幼稚園の隣にお寺があったため)」です。
著者プロフィール
劉 愛萍
リュウ アイピン
ベネッセ教育総合研究所 主任研究員
リュウ アイピン
ベネッセ教育総合研究所 主任研究員
1996年(株)ベネッセコーポレーションに入社後、語学事業の立ち上げ、教材編集、マーケティング等を経て、現在はベネッセ教育総合研究所に所属し、チャイルド・リサーチ・ネットの活動を運営しています。
※チャイルド・リサーチ・ネット
世界の子どもを取り巻く諸問題を解決するために、従来の学問分野を越えて学際的な研究を集め、世界規模で研究・発信をしているインターネット上の研究サイト。
※チャイルド・リサーチ・ネット
世界の子どもを取り巻く諸問題を解決するために、従来の学問分野を越えて学際的な研究を集め、世界規模で研究・発信をしているインターネット上の研究サイト。
これまで関わった主な研究、発刊物は以下の通りです。
関心事:子ども学を柱に、子どもの「遊び」と「学び」をどのようにとらえるか、文化の違いで、子育てと子育ちにどのような共通点と相違点があるのかなど。
その他研究、社外活動:「日中教育研究交流会議」会員、日本子ども学会常任理事、おもちゃコンサルタント。
その他研究、社外活動:「日中教育研究交流会議」会員、日本子ども学会常任理事、おもちゃコンサルタント。