決死の特訓 第8回 [Oh,my Gooodness!]

親子で英語圏に住み、現地の学校に行きながら英語を学ぶ……。3歳の娘と母親である筆者は、夫のアメリカ転勤のために、そんな理想的な環境に飛び込むことになりました。果たして本当に「子どもは英語にすぐ慣れるから大丈夫」? アメリカに住みながら英語を学ぶメリットとデメリットとは? 筆者のアメリカ生活をとおして、日本に住むご家庭では、どんな取り組みができるのか考えていきます。
※「Oh,my Gooodness!」とは、「あらまあ!」という驚きを表すことば。

保育園に行き始めて3日目のこと。お昼のお迎えに行くと、娘の頭にたんこぶができていた。先生の話によると、友達とトラブルになり、相手に押されて後ろに倒れ、頭を机に打ったらしい。集団生活にはよくあることで、先生方はレポートを書いて経緯を報告してくれた。それでも言葉が話せない状況でこんなことになった娘の気持ちを思うと、やりきれなくなった。だから、なんとしても「ノー、サンキュー」(やめて!)だけは言えるように家で特訓しなければと、私は決心した。

「『やめて』って言ってもアメリカのお友達はわからないの。『ノー、サンキュー』って言ってね。じゃ、いくよ」
そう言って娘が持っているおもちゃを「It"s mine!」と言って意地悪く取りあげた。「やめて!」と日本語で言う娘の目をじっと見て、「『やめて』じゃないの、『ノー、サンキュー』でしょ」と、諭す。

そんなの言えないもん、とでも言いたげに口をとがらせて黙っている娘を見ているうちに、私はものすごく腹がたってきた。友達にいやなことをされて、なにひとつできなかった娘の悔しさ、そして「ノー、サンキュー」という大事な言葉を入園前に教えておかなかった自分に対する怒り。ふつふつと込み上げるものがあり、だんだん頭に血がのぼってくる。だめだ、落ち着かなければ。つとめて冷静な口調で、私はもう一度娘に語りかけた。

「これが言えなきゃ自分が困るのよ。また誰かに何かを取られたり、ぶたれたりするの、いやでしょ。言ってごらん、『ノー、サンキュー』って」
娘はたじろいでいたが、もごもごと「ノー、サンキュー」とつぶやいた。「やった、言えたじゃない!」と私は娘をぎゅっと抱きしめた。腕の中で、ちょっとだけ娘の顔がほころぶ。

「じゃあ、本番いくよ。It"s mine!」
私におもちゃを取りあげられて、すぐに娘は「ノー、サンキュー!」と小さく叫んだ。
「やったあー!!」
思わずふたりで飛び跳ね、手をつないでぐるぐる回って、床に倒れこんで、大笑いした。まったく、私たちは、なにをやっているのだろうか。思わず苦笑いが込み上げてくる。その後1週間ほど、私と娘はこの「特訓」を続けた。

後日、公園に行った。すべり台の順番待ちに割り込もうとした友達に、娘は「No,thank you」と言い、手で制止するしぐさも見せた。あとで「言えたじゃない!」と声をかけると「うん、そうなの」と娘はけろっとしていた。

英語がいやでたまらないはずなのに、「ノー、サンキュー」が必要なタイミングできちんと言えるようになるとは……。このぐらいなら、必死に練習すればできるのだ。私は子どもの吸収力に驚いていた。考えてみれば、「やめて」と言えないために手が出てしまう場合だってあるわけで、そうならないためにも、日本語なら「やめて」、英語だったら「ノー、サンキュー」が言えたほうがスマートで、素敵なはずだ。

そんなわけで、私が意地になって始めたこの特訓は、ひとまず成功を収めたのだった。

プロフィール

山本美芽

音楽・ノンフィクションライター。中学校教諭、養護学校教諭からライターに転身。現在は音楽と教育をテーマに執筆活動を行う。著書に「りんごは赤じゃない 正しいプライドの育て方」「子どものセンスは夕焼けが作る」など。2006年3月より米カリフォルニア州在住。1児の母。

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