最新の入試情報/セミナーをご案内 ベネッセ教育情報アプリ

ベネッセ 教育情報サイト ベネッセ 教育情報サイト

子育て・教育・受験・英語まで網羅したベネッセの総合情報サイト

  • 中学●年生
  • 教育動向

天下の名城・『大阪城』陥落! 『大坂冬の陣・夏の陣』

大阪城大阪城

豊臣政権の終焉・冬と夏の大戦

『大坂冬の陣』は1614年に、『大坂夏の陣』は翌1615年に『大阪城』周辺を舞台に行われた戦いです。この戦いに勝利した徳川家康(とくがわいえやす)が、豊臣本家(羽柴家)を滅ぼしました。
『冬の陣』の発端は、1614年に起きた『方広寺鐘銘事件』(ほうこうじしょうめいじけん)です。

豊臣秀吉(とよとみひでよし)亡きあと、豊臣秀頼(とよとみひでより・豊臣秀吉の三男)・淀殿(よどどの・豊臣秀吉の側室)は豊臣秀吉の追善供養として、数多くの神社の修復・造営を行っていました。その中に、徳川家康が再建を進めた『方広寺大仏殿』(ほうこうじだいぶつでん)がありました。

徳川家は、完成された釣り鐘にしるしてある文中の『国家安康・君臣豊楽』の文に関して、「この語句は豊臣家の繁栄を願い、徳川家に災いをまねく呪いがかけられている」となんくせをつけ、開戦の口実にしました。

徳川家との戦いにそなえ、豊臣側では総兵力約10万人を集めますが、その中には、真田信繁(さなだのぶしげ)や長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)など、有名浪人が参戦しています。
徳川側への対応は、二重の堀を生かした堅固な『大阪城』での籠城作戦がとられました。
対する徳川家康が率いる軍勢は約20万人に上り、『大阪城』を包囲した攻囲戦が開始されます。

徳川側は豊臣側を大きく上回る人数と、連日にわたる大砲の攻撃をしかけますが、守りの固い『大阪城』と真田丸(さなだまる)をはじめとする各隊の働きにより、徳川側の猛攻をしのぎました。結果として、『大坂冬の陣』は徳川家康の申し出により和議が持たれ終結します。

ここで結ばれた和議の内容違反が、『大坂夏の陣』での結末を決定づけました。
和議で決めた『大阪城』の外堀のみを徳川の手で埋める約束を、勝手に『大阪城』の内堀まで埋めてしまったのです。『大坂冬の陣と夏の陣』の違いのひとつには、守りの要であった内堀を埋められたことによる豊臣側の防御力の低下が挙げられます。

そんな状況の中、1615年、再び大阪の地にて『大坂夏の陣』、大戦が始まります。

豊臣側は再戦の準備に入りますが、浪人勢の減少はやむを得なく総勢約7万8千人でした。
裸城となり籠城戦は難しいと判断、野戦で徳川側と戦うことを決めます。

徳川側総勢約15万5千人。豊臣側の武将・浪人も善戦しますが、圧倒的数の差で、敵の進行を防ぐことはできませんでした。こうして『大阪城』は陥落、豊臣秀頼と淀殿は自害をしたといわれています。そして豊臣家の時代から徳川家の時代へと変わります。

『大坂冬の陣・夏の陣』に参戦 義に生きた真田に学ぶ

関ヶ原の戦いから、『大坂冬の陣・夏の陣』と恩義ある豊臣家のために戦い、敗者となりながらも、「日本一の兵」(ひのもといちのつわもの)と称賛された人物が真田信繁です。
現在においても人気の高い武将の一人ですが、どこに魅力を覚えるのでしょうか。

真田信繁が生きた時代は戦国の世です。生き残るためには、より大きな権力や報酬のあるところに味方するのが、ごく普通の時代でした。関ヶ原の戦いのおりには、東軍は莫大な報酬を用意して真田信繁へ誘いをかけますが、豊臣秀吉に大事にされた恩を忘れない真田信繁は、この誘いを断り西軍へと味方します。
その中で苦境に立ちながらも、自分の義を貫いた生き方に、当時の武将も現代の私たちも、羨望や魅力を感じるのでしょう。

現代の日常生活の中で、このように凛とした生き方をするのはとても難しいことでしょう。
ただ、周囲で見ている人はしっかりと評価をしてくれるはずですし、こちらが苦しいときには手を差し伸べてくれるものです。「自分に負けそうだな、楽なほうに流されそうだな」というときは、彼の生き方を思い出してはいかがでしょうか。

歴史的舞台『大阪城』を見にいってみましょう

『大坂夏の陣』で落城した『大阪城』は、後日、江戸幕府により新たにその上に建て直されます。
その後は、現在に至るまで数々の改修が施され、復興天守を誇る大阪の象徴となっています。
『大阪城天守閣』では、各フロアでさまざまなイベントや展示コーナーがあり、戦国時代をわかりやすく紹介しています。

アクセスマップ

名 称:大阪城
時 間:9時00分~17時00分(最終入館は16時30分まで)ただし、桜シーズン、ゴールデンウィーク、夏休みは開館時間延長
休 日:年末年始(12月28日~1月1日)
料 金:大人600円・中学生以下無料(中学生は生徒手帳など要証明)
住 所:大阪市中央区大阪城1-1
電 話:06-6941-3044
※情報は変更されている場合があります。

監修者プロフィール
河合 敦(かわいあつし)
多摩大学客員教授。歴史研究家。1965年東京都生まれ。多数の歴史書を執筆するとともにテレビやラジオなどのメディア出演多数。
代表的な著書に『日本史は逆さから学べ!』(光文社知恵の森文庫)、『もうすぐ変わる日本史教科書』(KAWADA夢文庫)などがある。