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『奥の細道』松尾芭蕉のルートや時代背景は? 表現力を学ぼう

松尾芭蕉松尾芭蕉

『平泉』や『立石寺』を旅する紀行文『奥の細道』とは?

新幹線や飛行機、車やバスなど、現代では移動手段はたくさんありますが、旅行に行くときには、こうした移動手段を使って行くという人も多いのではないでしょうか。

江戸時代には、車も飛行機も新幹線もありませんでした。庶民の旅行は主に徒歩で、その上関所(税の徴収や検問のための施設)を越えなければならなかったので、気軽に旅行に出かけられる人は多くありませんでした。

そんな時代に東北と北陸を徒歩で旅し、それを旅行記としてまとめた人物がいました。

それが俳聖・松尾芭蕉(まつおばしょう)、そして東北と北陸の旅の記録をまとめた書が『奥の細道』です。

『奥の細道』では、江戸の深川(ふかがわ)を出発し、日光、松島、平泉(ひらいずみ)まで行き、山形を通って新潟から金沢に入るルートを通ります。その後、敦賀(つるが・現在の福井県)に行って大垣に到着。そして、伊勢に向けて出発するまでが『奥の細道』に書かれている内容です。

日程は150日間で総移動距離は2,400km、ときには1日に50kmも移動する日もありました。

『奥の細道』は「月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行きかふ年も又旅人也(月日は永遠の旅を続ける旅人で、去る年も来る年も同じように旅人だ)」という序文で始まります。そして松尾芭蕉が訪れた場所の様子を文章でまとめ、俳句を一句詠むという形です。

たとえば、岩手県の平泉に立ち寄った際には「三代の栄耀(えいよう)一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたにあり。藤原秀衡(ふじわらひでひら)が跡は田野になりて、金鶏山(きんけいざん)のみ形を残す」(三代にわたって栄えた藤原氏の栄光もまるで少しの夢のように消え、大門の跡が一里ほどこちらにある。藤原秀衡の屋敷の跡は田んぼになっていて、金鶏山だけが昔の形を残している)と、その土地の様子を表してから「夏草や兵(つわもの)どもが夢のあと」(今この地には夏草だけが生い茂っている。武士たちが戦った昔が夢のように消え去ってしまった)という俳句を詠んでいます。

このほかにも『奥の細道』には「閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声」など、一度は聞いたことがある有名な俳句が書かれています。

時代が違っても変わらない、『奥の細道』が教える「伝える力」

『奥の細道』は日本だけでなく海外でも高く評価されており、松尾芭蕉が立ち寄った場所の多くは、その地域の観光名所となっています。宮城県遠田郡(とおだぐん)の小牛田駅(こごたえき)から山形県新庄市の新庄駅までを結ぶJR陸羽東線(りくうとうせん)は「奥の細道湯けむりライン」という愛称で呼ばれ、『奥の細道』のルートは旅番組などでもたびたび取り上げられています。

このように、『奥の細道』の足跡が未だに人々に愛されている理由は、松尾芭蕉が『奥の細道』で詠んだ俳句から、その土地の美しさが伝わるためです。

たとえば秋田県の象潟(きさかた・秋田県にかほ市象潟地域の地形のことで、現在は平地になっている。国の天然記念物であり、鳥海国定公園の指定地。)で詠んだ「象潟や雨に西施(せいし)がねぶの花」(象潟の海辺に、雨でしおれたねむの花が咲いている。まるで、中国四大美女の一人である西施(せいし)がうつむいているようだ)は、ねむの花が憂いを帯びた美女のように咲いている風景が頭の中に浮かびます。

このように言葉に出して表現をするということは、相手に物事を伝えるうえでとても大切なことです。人は相手の気持ちや考えを読み取ることができません。しかしそれを伝える手段として言葉があります。

ただ、その言葉もそれを正確に伝える力がなければ、相手に伝わりません。下手をすると誤解を生んで、伝わるどころか話さえ聞いてくれなくなることもあります。

松尾芭蕉の俳句が土地の美しさを正確に伝えてくれるのは、ひとえに松尾芭蕉の持つ「相手に物事を正確に伝える表現の力」のおかげでしょう。

松尾芭蕉のように自分の思ったことを正確に相手に伝えるためには「伝える力」を磨くことが大切なのではないでしょうか。

『奥の細道』が伝える美しさを追って、平泉の『中尊寺金色堂』に行ってみましょう

前述しましたが、『奥の細道』で松尾芭蕉が立ち寄った場所は、ほとんどが今も観光名所となっています。その中でも特に有名なのが、世界遺産にもなっている平泉・『中尊寺金色堂』(ちゅうそんじこんじきどう)です。
ここで松尾芭蕉は「五月雨の降りのこしてや光堂」(辺りは雨が降っているのに、この『金色堂』だけが光輝いている。まるでここだけ雨が降らなかったようだ)という俳句を詠んでいます。

『中尊寺金色堂』は奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)の初代・藤原清衡(ふじわらのきよひら)が建てた黄金に輝く『御堂』です。工夫を凝らした美しい『御堂』の中には、今でも藤原氏初代から4代までのご遺体が眠っています。

アクセスマップ

名 称:関山(かんざん) 中尊寺 金色堂
時 間:8時30分~17時00分(11月4日から2月末日までは8時30分~16時30分)
休 日:無休
料 金:大人800円・高校生500円・中学生300円・小学生200円
住 所:岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202
電 話:0191-46-2211
※情報は変更されている場合があります。

監修者プロフィール
河合 敦(かわいあつし)
多摩大学客員教授。歴史研究家。1965年東京都生まれ。多数の歴史書を執筆するとともにテレビやラジオなどのメディア出演多数。
代表的な著書に『日本史は逆さから学べ!』(光文社知恵の森文庫)、『もうすぐ変わる日本史教科書』(KAWADA夢文庫)などがある。

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