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本能寺の変に残された謎3つ 三日天下の由来や現在の本能寺についても解説

本能寺本能寺

本能寺の変とは?

本能寺の変とは、1582年に、織田信長が備中で毛利氏と戦う羽柴(豊臣秀吉)を応援するために立ち寄った京都の本能寺で、家臣の明智光秀に襲われ自害した事件のことです。


織田信長が、甲斐の武田氏を滅ぼした後のことで、あと一歩で天下統一に手が届くと思われたときのことでした。明智光秀は、信長に中国地方への進撃を命じられましたが、ひるがえって本能寺を攻撃し、信長を自害させました。

本能寺で織田信長を討った明智光秀とは

明智光秀は、美濃明智庄の出身の武将ですが、若い頃の情報はあまり残っていません。 信長に仕える前は、斎藤道三、朝倉義景に仕え、ついに信長の家臣になるまでに出世しました。


また、同時に足利義明にも奉仕していました。その後も丹波の攻略など、信長に力を尽くした光秀が、なぜ本能寺の変を起こしたのか、その真実はよくわかっていません。

本能寺の変に残された謎3つ

本能寺の変は、日本の歴史の中でも大きな謎となっています。光秀は、若い頃は身分が低く、京都に入ってから頭角を現し、信長の信頼を得ていきます。


明智光秀は、家臣団の中でも中心的な存在でもありました。恩人でもある織田信長を撃つことになった理由には多くの謎が残されているため、本能寺の変には多くの説があります。


ここでは、なぜ本能寺の変に至ったか、その謎を3つにしぼって取り上げます。

なぜ本能寺で茶会を開くことになったのか

本能寺の変が起きる前日に、本能寺で信長が茶会を開く予定だったのか、それともすでに開かれていたのかは不明となっています。


もともと本能寺に向かったのは、信長が所持していた「三日月」や「松島」といった名器の茶壷を接待のために披露する目的があったと言われています。


しかし、これも本当のことはわかっていません。茶器を運ぶことで無防備になった信長を撃つための罠だったという説もあります。

織田信長の遺体はどうなったのか

本能寺で自害した織田信長の遺体は見つかっていません。 これも謎の1つですが、焼死体が多くて特定できなかったという説の他、火が激しく燃えたため焼失したという説、清玉上人が供養のために持ち去ったという説などがあります。


当時の風習では、討ち取った武将の首は勝利の証であるため、たいへん重要視されていました。そのため、信長の首を見つけることができなかった光秀は、謀反の大義名分を得られなかったとも言われています。

明智光秀が本能寺の変を起こした理由

そもそも、なぜ光秀が本能寺の変を起したのかも謎となっています。 これにもいろいろな説があり、光秀は信長の仕打ちを恨んでいたという説や、天下を狙ったという野望説もあります。 また、光秀は冤罪をかぶせられたのであり、本当の黒幕が他にいるという説まであります。


天下統一を目指す信長に敵が多かったのは事実ではないでしょうか。いろいろな要因が考えられ、謎はますます深まる事件と言えます。

三日天下の由来

三日天下という四字熟語は、本能寺の変の後、明智光秀が短期間権力を握ったことに由来した言葉です。


明智光秀はたった13日間という短い期間だけ権力を握り、その後は農民に殺害された、自害したなどの説があります。3日というのは短期間を表す言葉です。短期間だけ、権力や力を握ったという意味を表しています。

本能寺の変から得られる学び

このように、様々な謎が残されている本能寺の変ではありますが、天下統一を間近にした信長に、わずかばかりの「油断」があったことは確かと言えます。これまでの人生の中で、多くの裏切りや謀略にさらされ、何度も絶体絶命のピンチにおちいりながらも驚異的な実力と強運で突破してきた織田信長。しかし、天下統一という当時だれも想像し得なかったような一大プロジェクトの達成まであと一歩というところでまさかの結末を迎えることになりました。


「もう勝った」「やっと終わる」「あとちょっとで完成だ」と意識した瞬間に生まれる心の隙から取り返しのつかない失敗が生まれることは、現代においてもよくあります。 油断大敵。最後の最後まで気を抜かず、注意を払い、やり抜く姿勢が大切であることがわかります。

現在の本能寺へ行ってみよう

1582年に本能寺の変で寺を焼失した後に、本能寺は移転しています。1592年には秀吉の命令によって大規模な街の改革が行われ、そのときに京都府内の現在の場所に移動しました。


本能寺の変にまつわる歴史を身近に感じるためにも、歴史散策してみてはいかがでしょう。

再建された『本能寺』に行ってみましょう

京都の鴨川のほとりに法華宗(ほっけしゅう)の法灯を掲げている『本能寺』は、日蓮大聖人の教えを広める法華宗本門流(ほんもんりゅう)の『大本山』です。しかし、1582年の「本能寺の変」にて焼失しており、当時の所在地と現在地は別の場所にあります。1592年に再建された際、豊臣秀吉の命にて現在の場所に移転しました。とはいえ、天下統一目前だった織田信長が自害したという史実を今に伝える場所であることは間違いありません。

アクセスマップ

名 称:本能寺
時 間:6時00分~17時00分
休 日:無休
料 金:無料
住 所:京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522
電 話:075-231-5335 ※情報は変更されている場合があります。

監修者プロフィール
門川 良平(かどかわ りょうへい)
教育コンテンツ開発者。教材編集者・小学校教員・学習事業のプロデューサーを経て、現在は、すなばコーポレーション株式会社代表としてゲーム型ワークショップや学習漫画、オンライン授業などの開発を行う。オリジナル開発したSDGs学習ゲームなどの教育コンテンツを軸に日本各地の自治体と連携を進めている。

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