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世界史 定期テスト対策【第一次世界大戦とヴェルサイユ体制】第一次世界大戦の要因になった対立について

【第一次世界大戦とヴェルサイユ体制】第一次世界大戦の要因になった対立について

・3C政策と3B政策
・三国同盟と三国協商
・パン=スラヴ主義とパン=ゲルマン主義
について,どうして対立しているのかがわからないので教えてください。

進研ゼミからの回答

【質問の確認】

・3C政策と3B政策

・三国同盟と三国協商

・パン=スラヴ主義とパン=ゲルマン主義

について,どうして対立しているのかがわからないので教えてください。

【解説】

お尋ねの3つの対立は,「第一次世界大戦の要因」となりました。
順を追って,それぞれの対立を説明していきましょう。

<3C政策(英)VS 3B政策(独)>について
資本主義が発達した欧米列強は19世紀後半になると,資源を確保したり製品を輸出したりする先として植民地や勢力圏を重要視するようになり,軍事力を背景にアジア・アフリカ・太平洋地域へと進出しました。この動きを帝国主義といい,3C政策はイギリスの帝国主義政策,3B政策はドイツの帝国主義政策でしたね。つまり両国が帝国主義政策上の対立をくり広げたのが <3C政策 VS 3B政策> だということになります。
3Bとはベルリン・ビザンティウム(イスタンブル)・バグダードという3つの都市の頭文字で,ドイツは3都市を結ぶ鉄道を建設して西アジア方面へ進出しようとしました。他方の3Cとはケープタウン・カイロ・カルカッタという3つの都市の頭文字で,イギリスは3都市を結ぶ地域への勢力拡大をめざしました。アフリカ南部のケープタウンからアフリカ北部のカイロまで縦断する地域に,インド東部のカルカッタまでを加えると,巨大な三角地帯ができあがります。イギリスはスエズ運河を通ることで最重要植民地インドへ行き来していましたから,西アジアや地中海東部にドイツが進出してしまうと通商路を妨害されてしまう恐れがありました。ちなみに,ドイツの3B政策は,イギリスの3C政策のみならず,ロシアの南下政策とも衝突することになります。

<三国同盟(独墺伊) VS 三国協商(英仏露) >について
第一次世界大戦(1914~18)は,ドイツなどを中心とする同盟国側と,フランス・ロシア・イギリス・日本などの協商国(連合国ともいい,こちらに後からアメリカなども加わりました)側が戦いましたね。この同盟国側と協商国側の対立のもとになったのが <三国同盟 VS 三国協商> です。
1882年に,ドイツを中心とした三国同盟が先に成立しました。もともとドイツとオーストリアの間にあった同盟関係に,ドイツはイタリアを誘いました。ドイツの目的は,フランスを孤立させることにありました。ドイツはフランスとの戦争(プロイセン=フランス戦争,1870~71)に勝って統一を達成したため,そのときの復讐をされたくなかったからです。イタリアは地中海をはさんで対岸のアフリカ北部にあるチュニジアをめぐってフランスと対立していたため,このときはフランスに対抗するという目的が一致していました。
他方の三国協商は,露仏同盟・英露協商から成り立っています(1907)。イギリス・フランス・ロシアはドイツ・オーストリアを共通の脅威だと考え,互いに協力して自国の植民地や勢力圏を守ろうとしたのです。日本が第一次世界大戦で協商国側に立ったのは,イギリスと日英同盟・ロシアと日露協約を結んでいたからです。なお,イタリアは「未回収のイタリア」問題でオーストリアと対立して三国同盟を離脱したため,やはり協商国側で参戦しています。

<パン=スラヴ主義(露)VS パン=ゲルマン主義(独墺)>について
三国協商の一員であるロシアは,スラヴ民族が多い国家です。他方の三国同盟を成立させたドイツは,ゲルマン民族が多い国家です。わかりやすく言うと,民族対立が第一次世界大戦の引き金をひいたのだと理解できます。
そもそものパン=スラヴ主義は,スラヴ民族の統一と連合をめざす運動がバルカン半島で盛んになったものでしたが(バルカン半島にも,セルビアなどスラヴ系の国があります),これがロシアの南下政策と結びつき,19世紀後半にはバルカン半島への進出をねらうロシアの帝国主義のスローガンになりました。ロシアはオーストリアやオスマン帝国に対抗して南下政策を有利に進めるため,この運動を支援しました。一方,パン=ゲルマン主義もゲルマン民族の勢力をのばそうとする運動でしたが,ドイツがバルカン半島へ進出する際の帝国主義のスローガンとなりました。
かつてバルカン半島を支配していたオスマン帝国が衰退していくなかで小国のナショナリズムが高まっており,その状況をロシアやドイツなどの帝国主義列強が利用しようとしたのです。第一次世界大戦直前のバルカン半島は,いつ戦争になってもおかしくないという意味で「ヨーロッパの火薬庫」とよばれました。実際に1914年のサライェヴォ事件(オーストリア帝位継承者夫妻の暗殺事件)を直接の原因として,第一次世界大戦が勃発します。

【アドバイス】

第一次世界大戦前には <三国同盟 VS 三国協商> のように,複雑な同盟・協商関係が成立していました。「三国協商」と「三国同盟」の関係図を見たり,「三国協商」の関係図に日本を書き加えたりしながら,混乱しないように整理しておきましょう。イタリアのように開戦後に立場をかえた国もあるのですが,ほとんどの国家は戦争前から形成されてきた敵対的な関係どおりに参戦しています。
これに加えて第一次世界大戦がおきた要因には,欧米列強などがアジア・アフリカなどへ進出して植民地や勢力圏をのばそうとした <3C政策 VS 3B政策> のような帝国主義政策上の対立もあり,直接的な開戦の原因をつくった <パン=スラヴ主義 VS パン=ゲルマン主義> のようなバルカン半島での民族対立もあるのです。

他国よりも遅れて19世紀後半に統一をなしとげた新興国のドイツは,他の列強諸国のもつ植民地や勢力圏の再配分(再分割)を求めて,特に広大な植民地を有していたイギリスとの対立を深めました。ドイツ対イギリスという単純な覇権争いからはじまって,それぞれがヨーロッパの内外に同盟・協商関係を広め,バルカン半島の民族問題まで利用した結果,世界は長期にわたる総力戦に突入することになりました。ですから,【第一次世界大戦の要因となった3つの対立】を,セットで覚えておくことが重要なのですね。

  • ここで紹介している内容は2017年3月時点の情報です。ご紹介している内容・名称等は変わることがあります。

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