偏差値や学歴ではない!自分自身の価値に向き合う教育のススメ

「何のために勉強するのか?」誰でも一度は考えたことがあるのではないでしょうか。
「そもそも教育が目指すものとは何か?」「学校、塾、家庭の三者がそれぞれできることとは?」など、日本の教育の課題や未来について教育コンサルタントの木下晴弘さんに伺いました。

教育という仕事の面白さと厳しさ

まずは私のプロフィールからお話したいと思います。といっても、実は恥ずかしい話なのですが、荒れた高校時代を送っていて、ろくに学校に行かない状態だったので成績はボロボロでした。特に化学が欠点で、レポートを提出してなんとか高校を卒業したというくらいで、大学受験も3浪しているのです。

とりあえず浪人生活が始まり、予備校に入っても最初の1週間はすべての授業を受けてみたのですが、まったくと言っていいほど勉強していませんから、内容がわかりませんし、当然おもしろいはずありません。

そんな私が唯一面白いと感じた授業が、北山先生という方の化学の授業だったんです。ちょっと強面の男の先生だったのですが、ガラッと扉を開けて教室に入ってくると、机にテキストをバンッと置いて「化学のお勉強をしましょうかぁ」といった調子で授業が始まるわけです。「君ら酸素を見たことあるかぁ?」「おい!そこの酸素!…といっても、酸素は見えない」というふうに続きます。その最初の5分でもう「この授業おもしろい!」と心をつかまれてしまったんですね。

北山先生のおかげもあって、その年の共通一次試験で化学だけは満点を取りました。2年目の共通一次試験も満点、3年目は1ヵ所ミスがありましたが98点です。「化学ってこんなにおもしろかったんだ」と心の底から感じました。「自分もこんな教え方をしてみたい」——それが私の「教える」ということに対する原点です。

大学時代はアルバイトで塾講師をしていました。合格発表の日は生徒の数だけ感動があり、「ああ、この仕事やっていてよかった!」と心から思えるんです。生徒たちのハートをたたいたら感動があり、涙も笑いも出ます。そういったところに私は面白さを感じています。私は大学卒業後、一度銀行に就職したのですが、すぐに塾に戻ってしまいました。銀行の方には申し訳ないことをしてしまいましたが、それくらいに教育は魅力的なのです。

ただし、塾講師という仕事は言うまでもなく、面白いだけではありません。塾の講師や学校の先生、もちろん幼稚園の教員も含めて、「教える」ということを生業にされている方にお伝えしておきたいのは、人に教える仕事は自分の未熟さが一気に露見してしまうものだということです。どんな仕事でも、仕事で直面する課題、それは人間関係だったり、仕事上のミスだったりとかたちを変えて現れますが、ある意味で全部が自分の未熟さです。
人に教える仕事では、特にそれが急激に出てきます。自分の未熟さを一気に見せつけられるというのは、もう本当につらいのです。だからこそ塾は離職率も高い仕事なのです。でも自分の課題を乗り越えたときの達成感、人間としての成熟度合は群を抜いていると思います。教育の世界を目指す方、教育の世界でがんばっている若い世代の方には、ぜひ苦しさの後には大きな喜びがあることも忘れないでいただきたいと思います。

教育の究極的な目的は幸福になること

「そもそも教育とは何のためにするのか」と考えてみたことはありますか。
よく出てくる答えに「将来、子どもが安定した生活を送るため」というものがあり、それも1つの考え方だと思っています。ただもう少し広い範囲までを含めて一言で言い表すとしたら、「幸せになるため」ではないでしょうか。人生が貧しく細っていくのを実現するために教育をしようなんて、誰も思っていないはずです。だからこそ人生を豊かに幸せにするために教育はあるものだと私は考えます。

幸せは自分の利益を追うことで達成する部分もありますが、実は幸せは分かち合うことができるものでもあり、分かち合うことでもっと幸せな人生を送ることができるのです。ここの部分の奥深さがよくわからないまま育ってしまうと、極端な話ですが、一流大学で身につけた高い能力で毒ガスをつくって、他人に危害を与えてしまうという人生を送ることもあるのです。だから教育によって身につけた知識やスキルをどう使うかが大事なのです。

知識やスキルを「包丁」と置き換えて考えてみると、もっとわかりやすいかもしれません。包丁は食材を切っておいしい料理をつくり人を幸せにでき、とても便利なものです。でも人を刺すこともできる道具でもあるのです。だから知識やスキルは教えると同時に、その使い方も教えなくてはなりません。

では、「包丁」の使い方といった知識やスキルをどこで教えるかなのですが、小学校以降は子どもがいちばん長く過ごすのは学校ですから、学校で教えるのが効率的だと思われます。つまり学校は知識やスキルを勉強というかたちで子どもたちに伝える場所なのですが、他人の幸せのために使うことが自分の幸せにつながるということを徹底的に教える場であってほしいと願っています。

「教育の平準化」を超える個別指導の意義

ただし、学校で教えられることには限界があるのも事実です。学校で得た「包丁」でもっとまわりを幸せにするためには、もっと大きくしたり、切れ味をよくしたりする必要があることだってあります。現状ではその役割を塾が担うしかないでしょう。そこに塾の存在意義があると考えています。残念ながら、今の日本の学校の仕組み、特に公教育の多くが習熟度によるクラス編成になっていないのです。あらゆる習熟度の生徒を1クラスにまとめて、授業の水準をクラスの中間程度に合わせるのです。この仕組みでは落ちこぼれが少なくなるという長所はありますが、突出した者が出にくくなるという欠点もあります。

こうした学校の仕組みのことを「教育の平準化」という言葉で言い表します。「教育の平準化」についてはさまざまな説明がなされますが、これは欧米の列強大国が植民地政策の一環で行っていたもので、植民地の人びとを扱いやすくする目的があったものと私は考えますし、広い意味では占領を経験してスタートした戦後日本の教育にも当てはまるのではないかと思います。最近、日本の学校教育でもいくつかの新しい取り組みが始まってはいますが、私の見るところ、「平準的な教育=学校教育」という枠組みを克服したとは言いがたい状況です。

もう1つ現在の教育制度の中で限界を感じているのが、相対評価で判断することがあまりに多すぎる点です。現在は通知表に絶対評価の考え方を取り入れて評価している学校もありますが、受験や偏差値による評価は他人との比較の中で決まる相対評価です。
もちろん相対評価で切磋琢磨していくこともお子さんの成長につながりますが、1人ひとりのお子さんが成長しているかどうかは、やはり絶対評価でなければ測れません。ですから、学校教育における評価は、相対評価と絶対評価の絶妙なバランスというところに行き着くのがベストだと思っています。絶対評価では、競う相手はクラスメイトではなく、昨日の自分や去年の自分ということになるでしょう。こうした後者の視点がとても大切です。

最近、従来からある集団指導塾に加えて、個別指導塾が注目を集めています。「お子さんは去年よりも今年、昨日よりも今日、ちゃんと成長していますか?」といった点から丁寧に問いかけることができるのは個別指導しかないし、そこに個別指導の大きな可能性があると私は信じています。

子どもに伝えたい!自分という存在の価値

さきほど他人を幸せにすることが自分の幸せにつながるという話をしました。ところが、ここがポイントなのですが、人間は自分にないものは与えられないものなのです。人に幸せを与えられるのは自分が幸福感を持っている人間だけです。

その幸福感を支えているのが、私の考えでは自信です。自信とは他人よりも自分が秀でていることだとほとんどの方が思っています。もちろん定義はいろいろあってよいのですが、幸福感につながる自信とは「自分は自分でいい」と思えることです。もし他人より秀でていることを自信だと定義すると、自分より優れた人が出てきたとき、それは簡単に打ち砕かれてしまいます。でも「自分は自分でいいんだ」と思えている人間の自信は他人には打ち砕けません。「自分は自分でいい」と思える心、この気持ちを本人に与えられるのは親しかないし、家庭教育の根幹はそこにあると思うのです。

大事なのは、幼少のころから「あなたはあなたでいいんだよ」「あなたの存在そのものを愛しているよ」と伝え続けることです。「ハイハイができた」、「テストでよい点をとった」からほめるのではなく、お子さんのありのままを愛しているというメッセージを小さいころから伝えることは、家庭でしかできないと私は思います。これを「存在承認」と言います。保護者の方がお子さんに求めることはそれぞれのご家庭で違うと思います。どれがよい、わるいということはありません。ただし優先すべきは「存在承認」です。

わが家でのテストの答案に対する親の反応はこうです。たとえば、テストでよい点を取ると子どもは親に見せたがりますね。「パパ100点取ったよ!」と持ってきます。そんなときに「おお100点か。○○ちゃんはうれしい?○○ちゃんがうれしかったらパパもうれしい。でもな、100点とれなくても、パパはお前の存在を愛してるよ。生まれてきてくれて、ありがとう」と答えます。
テストの答案が40点でも基本的に同じです。「パパごめん、40点しかとれなかった」。「そうか40点か。悲しいのか?○○ちゃんが悲しいとパパも悲しい。でもテストなんか見せなくても、パパはお前の存在を愛してるよ。生まれてくれてありがとう」。こうしたことを続けているうちに、ついにテストを見せに来なくなりました。うちの子の勉強の状況がわからなくなったので夫婦で少し焦りましたが、学校へ面談に行ってみると、ベスト3の成績をキープしているということで、ホッとしたのを覚えています。

ちなみに、わが家では親からは中学受験もとくにすすめませんでしたが、長男は小学校5年生のときに「パパ、中学校に私立と公立ってあるの?」「大学まで行こうと思ったらどっちが有利?」と聞いてきました。そこで、公教育と私教育の違いをさかのぼって江戸時代から説明しました。そうしたら自分で塾も志望校も選んで、私立中学校に進学していきました。進学に関して親はサポートしただけです。

逆に「存在承認」を与えられずに、学校という場で行動承認と成果承認の考え方だけを学んでしまうと、自分が承認されるためにはよい行動やよい成績をとる必要があるという考え方に陥ることがあります。仮によい成績をとらなければ愛されないと思ったお子さんはがんばって勉強します。すると成果が「出る」「出ない」に分かれます。成果が出なければ、自信を失ってしまうこともありますし、カンニングをする子が出てくることもあるのです。成果が出たとしても、「僕は勉強ができるから愛されるに値する人間だ。勉強ができないやつは愛されるに値しない」と考える子が現れます。最後には「あんな偏差値の低いやつと仕事なんてできない」というふうに、歪んだ優越感を抱えた大人になる場合さえあります。症状が進むと成績によって愛されることを断念する子も出てきます。そういうお子さんは保護者の方の関心を勉強以外で引かざるを得ません。そうすると引きこもりになったり、友だちをいじめたりといった問題行動が表出してしまうこともあるのです。お子さんの言動にはすべて理由があるのです。

自然にムダなものはありません。人間は間違いなく自然の一部です。ということは人間にもムダな人間など1人もいないということです。ムダな人間がいないということは、1人ひとりに生まれてきた役割があるということです。「人は生まれてきた以上、必ず何かの役割がある」、まずそのことに絶対的な自信が持てることが大切です。「人間って足らない部分を助け合って生きていく生き物」です。そしてかつての時代を駆け抜けた幸せな成功者たちは、1人の例外もなく、まわりの多くの人から助けられた人たちなのです。保護者のみなさんは「あいつだったら助けてやろう」と思われるようなお子さんに育ててあげてください。まわりに助けてもらえるかどうかが子育ての成功のすべてと言っても過言ではないと、私は確信しています。

プロフィール

木下晴弘

木下晴弘

1965年、大阪府生まれ。塾講師として16年のキャリアでアンケート支持率95%以上という成績を誇り、多くの生徒を灘高校をはじめとする超難関校合格に導いた。その後、関西屈指の進学塾の設立、経営に役員として参加。2001年に独立し、株式会社アビリティトレーニングを設立。現在は代表取締役として、全国の教育機関で教員、保護者、生徒向けのセミナーを展開する。近年は企業向けのセミナーも人気が高い。「ココロでわかると必ず人は伸びる」(総合法令出版)、「できる子にする『賢母の力』」(PHP研究所)、「涙の数だけ大きくなれる!」(フォレスト出版)など著書多数。
株式会社アビリティトレーニング公式ホームページ https://www.abtr.co.jp/

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