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戦国・安土桃山時代の武将、織田信長 「本能寺の変」の真相は?

「本能寺の変」とはどういう出来事だったの?

「敵は本能寺にあり!」

1582年6月2日、そう述べて進路を変えて『本能寺』に攻め入ったといわれる明智光秀(あけちみつひで)は、その時どんな心境だったのでしょうか?

――戦国・安土桃山時代の武将、織田信長(おだのぶなが)は中国(日本の中国地方)出陣の途中に、京都・『本能寺』にて重臣であった明智光秀の謀反にあい、自殺に追い込まれます。天下統一を目前にした49歳の時でした。

これが「本能寺の変」です。

事のてん末をご紹介しましょう。

織田信長が1582年3月に難敵・武田氏を討ち、天下人にまた一歩近づいた矢先のことでした。織田信長は備中(びっちゅう・今の岡山県南部)で毛利氏と争っていた家臣・羽柴秀吉((はしばひでよし)、後の豊臣秀吉(とよとみひでよし))の救援に向かうため京都の、『本能寺』に宿泊することになりました。

一方、明智光秀も中国出陣を命ぜられていましたが、冒頭の「敵は本能寺にあり!」という言葉にある通り、1万数千にも及ぶ自身の軍勢を西(中国方面)へ向かわせず、東(京都)に転じて『本能寺』を急襲しました。

明智光秀の大軍に対し、織田信長は数十人というわずかばかりの兵しか従えておらず、織田信長は自害という選択肢を選びました。

『三日天下』の由来と「本能寺の変」から学ぶ【教え】

さて、この「本能寺の変」においては、最大の謎があります。
それは、「明智光秀はなぜ主君である織田信長を裏切ったのか?」、つまり明智光秀の動機についてです。

よく小説やドラマで描かれているのは遺恨や怨念(うらみ)があり、それが元となった物語です。

たとえば、敵対勢力であった波多野兄弟(波多野秀治(はたのひではる)、波多野秀尚(はたのひでひさ))を降伏させたのは明智光秀でしたが、織田信長が彼らを殺してしまったため、相手方に人質として差し出していた明智光秀の母も殺されてしまいます。これを恨んでいたという説があります。

ほかにも、織田信長が『安土城』で徳川家康(とくがわいえやす)と穴山信君(あなやまのぶただ)を招いた際、接待役をまかされたのが明智光秀でした。ところが、料理として二人に出した魚が腐っていたことに織田信長が立腹して明智光秀は接待役を解任させられ、はげしい叱責をうけ、すぐさま中国出陣を命じられたのをうらんで犯行におよんだともいわれます。

さらに裏で明智光秀を動かしていた黒幕がいたのではないかという説も多くあります。黒幕としては、朝廷の公家、イエズス会、豊臣秀吉、徳川家康、室町幕府の元将軍・足利義昭(あしかがよしあき)説などがあります。とくに近年、足利義昭が明智光秀に指示したともとれる文書が発見されました。

また、明智光秀の動機として四国征伐説があります。明智光秀は四国で大きな力をもつ長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)と織田信長の仲介をしていました。ところが織田信長は急に長宗我部元親を討つため、大軍を組織して大阪で待機させたのです。これで面目を失した明智光秀は謀反を決意したというものです。
このように動機に関する説は数多くありますが、それ以外にも、傍若無人な姿勢で勢力を拡大していく織田信長を近くで見てきた重臣として「この暴君を天下人にしてしまっては世の中が大変なことになる」と、明智光秀が感じていたとする恐怖説もあります。

「本能寺の変」で、織田信長を自害に追い込んだ明智光秀が権力を握っていたのは、ほんのわずかの期間でした。

明智光秀は十数日後、羽柴秀吉によって討たれてしまい、実はこれが、短い期間しか権力を握れないという意味の言葉、『三日天下』の由来なのです。

人生を左右するような行動は、十分すぎるぐらい用意周到に準備しておかなければ『三日天下』で終わってしまう、ということを学べるのではないでしょうか。

再建された『本能寺』に行ってみましょう

京都の鴨川のほとりに法華宗(ほっけしゅう)の法灯を掲げている『本能寺』は、日蓮大聖人の教えを広める法華宗本門流(ほんもんりゅう)の『大本山』です。しかし、1582年の「本能寺の変」にて焼失しており、当時の所在地と現在地は別の場所にあります。1592年に再建された際、豊臣秀吉の命にて現在の場所に移転しました。とはいえ、天下統一目前だった織田信長が自害したという史実を今に伝える場所であることは間違いありません。

アクセスマップ

名 称:本能寺
時 間:6時00分~17時00分
休 日:無休
料 金:無料
住 所:京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522
電 話:075-231-5335 ※情報は変更されている場合があります。

監修者プロフィール
河合 敦(かわいあつし)
多摩大学客員教授。歴史研究家。1965年東京都生まれ。多数の歴史書を執筆するとともにテレビやラジオなどのメディア出演多数。
代表的な著書に『日本史は逆さから学べ!』(光文社知恵の森文庫)、『もうすぐ変わる日本史教科書』(KAWADA夢文庫)などがある。