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意欲と褒めることの微妙な関係
教育におけるポジティブな刺激は、褒めることや励ますことが中心となるはずです。褒めた方がよいのは間違いないのですが、実際には、褒めるのが逆効果に思える場合もあって、型通りの方針ではうまくいかない難しさがあります。
話が少し遠回りしますが、昔アメリカのバスケットボール界で、あるスポーツ雑誌の表紙に登場した選手は、その後決まって落ち目になるというジンクスが広まっていたそうです。だからみんな、その雑誌の表紙に取り上げられることをひどく恐れていた。ジンクスといいましたけど、これは当たり前の話です。メディアはその時に一番活躍している選手を取り上げるものです。当然、選手には調子の波がありますから、活躍のピークで表紙に掲載されたら、その後多くの場合成績が下がってしまうのは目に見えています。
もっと身近なスポーツ指導の現場では、コーチの多くが、選手は褒めると駄目になって、叱ると調子が上向くという実感を持っているらしい。もちろん、褒められた選手が慢心して練習しなくなる可能性もありますが、基本は先ほどの話と同じですね。褒めるのは選手がいいプレーをしているときなので、後で調子を落とすと、褒めたのがまずかったように思える。反対に、コンディションがよくなる手前で叱るから、薬が効いたように見えるのです。このような偏見を「情報のバイアス」がかかった状態といいますけど、勘違いを招きやすいので注意しなければいけません。
もう一つの問題は、外からのポジティブな言葉も、意識されると効果が落ちてしまう場合があることです。先ほどの握力の実験では被験者が無意識のうちに、「がんばれ」という言葉に反応しました。しかし、子どもが親から励まされたりすると、反抗心を呼び覚ますというか、変な気分になってしまい、かえってうまくいかないこともあるわけです。
こういう微妙な心理も、次のような実験で解明できます。初めにお話しした自己知覚に関係するのですが、今度はとてもつまらない仕事を1時間やってもらいます。二つのグループに分け、バイト代として一方には2,000円、もう一方には100円を支払う約束にします。お互い、相手のグループがいくらもらうかは知りません。そして終了後にアンケートを取り、仕事の面白さに点数を付けてもらうのですが、とても興味深い結果が出ました。たくさんもらった方が気分もよさそうなのに、より高い点数を付けたのは時給100円のグループでした。どうしてか。つまらない仕事に耐えているのに、報酬が100円ではお金が目的とはとてもいえない。なのに、自分はこの仕事をやってしまっている。矛盾するわけです。そこでこの人たちは、面白いからやっていると思うようになるのです。お金のためじゃないんだ、ピュアな気持ちなんだと。これは脳と環境が一致しないような状態で、まことに気分が悪い。だから、バイト代が100円という事実が変えられない以上、心の側を合わせるしかないのです。こうした状態を「認知的不協和」といいますが、世間でも当てはまる例が結構多い。例えばプロ野球やサッカーのJリーグでも、年俸が安い球団の選手ほど、チームへの忠誠心が強いように思うのですがどうでしょうか。
褒めることに話を戻すと、絵を描くのが好きな子どもなどにも、認知的不協和がよく起こります。私もそうだったので分かるのですが、絵が好きな子は初めはただ好きで描いているだけなのに、上手だと褒められると、褒められたくて自分は描いているんじゃないかと、自分で自分を疑い出すのです。そして多くの場合、絵に対する興味を急速に失ってしまいます。自分から積極的にやっていることに関しては、褒めてはいけないのです。いわゆるできる子の扱い方にも共通します。すでに意欲があるのだから、放っておけばいい。時々は褒めることも大切ですけど、さりげなく、がコツです。
とはいえ、ポジティブな言葉の投げかけが意欲を引き出すことに有効なのは変わりありません。特に、緊張しがちだったり、プレッシャーに弱かったりする人には効くと思います。レスリングの浜口京子さんのお父さんが、娘の試合前に「気合だ! 気合だ!」とやるのを世間は面白がっていますけど、あの行為はものすごく重要なことです。受験の日の朝、家族が「大丈夫、きっとうまくいく」と声をかけるのも同じです。
社会全般に合理性が追求される中で精神論は古くさいと思われがちですが、脳科学者の意見は違います。紹介したようなデータがたくさんあるので、確信を持っていえます。社会生活にはやはり、目に見えるかたちでの気合が大切なのです。
話が少し遠回りしますが、昔アメリカのバスケットボール界で、あるスポーツ雑誌の表紙に登場した選手は、その後決まって落ち目になるというジンクスが広まっていたそうです。だからみんな、その雑誌の表紙に取り上げられることをひどく恐れていた。ジンクスといいましたけど、これは当たり前の話です。メディアはその時に一番活躍している選手を取り上げるものです。当然、選手には調子の波がありますから、活躍のピークで表紙に掲載されたら、その後多くの場合成績が下がってしまうのは目に見えています。
もっと身近なスポーツ指導の現場では、コーチの多くが、選手は褒めると駄目になって、叱ると調子が上向くという実感を持っているらしい。もちろん、褒められた選手が慢心して練習しなくなる可能性もありますが、基本は先ほどの話と同じですね。褒めるのは選手がいいプレーをしているときなので、後で調子を落とすと、褒めたのがまずかったように思える。反対に、コンディションがよくなる手前で叱るから、薬が効いたように見えるのです。このような偏見を「情報のバイアス」がかかった状態といいますけど、勘違いを招きやすいので注意しなければいけません。
もう一つの問題は、外からのポジティブな言葉も、意識されると効果が落ちてしまう場合があることです。先ほどの握力の実験では被験者が無意識のうちに、「がんばれ」という言葉に反応しました。しかし、子どもが親から励まされたりすると、反抗心を呼び覚ますというか、変な気分になってしまい、かえってうまくいかないこともあるわけです。
こういう微妙な心理も、次のような実験で解明できます。初めにお話しした自己知覚に関係するのですが、今度はとてもつまらない仕事を1時間やってもらいます。二つのグループに分け、バイト代として一方には2,000円、もう一方には100円を支払う約束にします。お互い、相手のグループがいくらもらうかは知りません。そして終了後にアンケートを取り、仕事の面白さに点数を付けてもらうのですが、とても興味深い結果が出ました。たくさんもらった方が気分もよさそうなのに、より高い点数を付けたのは時給100円のグループでした。どうしてか。つまらない仕事に耐えているのに、報酬が100円ではお金が目的とはとてもいえない。なのに、自分はこの仕事をやってしまっている。矛盾するわけです。そこでこの人たちは、面白いからやっていると思うようになるのです。お金のためじゃないんだ、ピュアな気持ちなんだと。これは脳と環境が一致しないような状態で、まことに気分が悪い。だから、バイト代が100円という事実が変えられない以上、心の側を合わせるしかないのです。こうした状態を「認知的不協和」といいますが、世間でも当てはまる例が結構多い。例えばプロ野球やサッカーのJリーグでも、年俸が安い球団の選手ほど、チームへの忠誠心が強いように思うのですがどうでしょうか。
褒めることに話を戻すと、絵を描くのが好きな子どもなどにも、認知的不協和がよく起こります。私もそうだったので分かるのですが、絵が好きな子は初めはただ好きで描いているだけなのに、上手だと褒められると、褒められたくて自分は描いているんじゃないかと、自分で自分を疑い出すのです。そして多くの場合、絵に対する興味を急速に失ってしまいます。自分から積極的にやっていることに関しては、褒めてはいけないのです。いわゆるできる子の扱い方にも共通します。すでに意欲があるのだから、放っておけばいい。時々は褒めることも大切ですけど、さりげなく、がコツです。
とはいえ、ポジティブな言葉の投げかけが意欲を引き出すことに有効なのは変わりありません。特に、緊張しがちだったり、プレッシャーに弱かったりする人には効くと思います。レスリングの浜口京子さんのお父さんが、娘の試合前に「気合だ! 気合だ!」とやるのを世間は面白がっていますけど、あの行為はものすごく重要なことです。受験の日の朝、家族が「大丈夫、きっとうまくいく」と声をかけるのも同じです。
社会全般に合理性が追求される中で精神論は古くさいと思われがちですが、脳科学者の意見は違います。紹介したようなデータがたくさんあるので、確信を持っていえます。社会生活にはやはり、目に見えるかたちでの気合が大切なのです。
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